「大谷翔平」には負けるけど…NPBで「本塁打&盗塁」で記録を残した名選手 巨体でトリプルスリーを掴んだ意外な男も

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走れるホームランバッターは意外と多い

 まず、50年に毎日の3番打者・別当薫が、43本塁打でパ・リーグの本塁打王を獲得し、打率.335、34盗塁の「43‐34」、松竹の4番・岩本義行(打率.319、39本塁打、34盗塁)とともに、NPB史上初のトリプルスリーを達成した。

 さらに同年は、セ・リーグの本塁打王、小鶴誠(松竹)も28盗塁を記録し、「51‐28」。このほか、セの首位打者・藤村富美男(阪神)が「39-21」、青田昇(巨人)が「33-29」、川上哲治(巨人)が「29-34」、飯田徳治(南海)が「23-30」、戸倉勝城(毎日)が「21-22」と、各チームの主軸打者が、本塁打、盗塁両部門で画期的な数字を残している。

 西鉄黄金時代の主砲で、4年連続を含む5度の本塁打王に輝いた中西太も、174センチ、93キロというずんぐりむっくりの体型ながら、意外に俊足で、入団から6年続けて二桁盗塁を記録。1953年には、本塁打王(36本)とリーグ5位タイの36盗塁の「36-36」、さらには打点王(86打点)も獲得し、打率.314で史上3人目のトリプルスリーを達成した。

 その後も54年に「31-23」、55年に「35-19」と、盗塁数は年々減っていったものの、“走れるホームランバッター”をアピールしている。

実は盗塁も上手かった「長嶋茂雄」

 長嶋茂雄も若い頃は俊足でならし、ランニングホームランを通算3本記録している。
巨人入団1年目の1958年は、29本塁打、92打点で本塁打王と打点王の二冠に輝いているが、盗塁数もリーグ2位の37をマーク。「29-37」というなかなかの数字を残している。

 ちなみに同年の長嶋は、打率もリーグ2位の.305(首位打者は阪神・田宮謙次郎の.320)だったが、9月19日の広島戦で5回に左中間に28号ソロを放ちながら、一塁ベースを踏み忘れ、“幻弾”(記録は投ゴロ)となったことから、最終的に30本塁打の大台に1本足りず、惜しくもトリプルスリーを逃した。

 長嶋はその後も2年連続首位打者に輝いた60年にも、リーグ2位の31盗塁を記録するなど、プロ入り後の最初の5年間で通算121盗塁と韋駄天ぶりを発揮している。

 東映時代の張本勲も、1963年の「33‐41」をはじめ、同一シーズンで20本塁打、20盗塁以上を記録すること5回。通算打率.319(歴代3位)、504本塁打(同7位)、319盗塁(同27位)は、いずれも前出の秋山を上回っている。

 1970年代以降、走れるホームランバッターはほとんど見られなくなったが、77年に広島・山本浩二が「44‐22」を記録。これとは逆に、盗塁のスペシャリストが本塁打を量産した例もあり、広島時代の高橋慶彦が83年に「24‐70」、85年に「24-73」、大石大二郎(近鉄)も84年に「29-46」をマークした。

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