未婚で僕を産み、ホステスとして働く母を侮辱され… 恋敵の“ひと言”で気づいた複雑な感情

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入学式に来なかった祖母

 小学校へ通うようになると、少し世界が広がった。「祖母と、ときどき母」という家族構成が「普通の家」とは違うこともわかっていった。祖母に、「うちはうち。3人で仲よくやっていこうね」と言ってほしかったのだが、祖母はそういうことを言うタイプの人ではなかった。あとから知ったのだが、祖母自身も不遇な生まれ育ちで、祖父はいつも「あの女をもらってやったんだ」と親戚などに吹聴していたようだ。自己肯定感の低い祖母、そんな母親に抗うように好き勝手に生きる母という図式だったのかもしれない。

「小学生の早い段階で、家庭とか家族について考えるのはやめました。いずれ自分にとってネックになっていくことは薄々感じていたけど、何もできない幼い自分がそれを考えたところで意味がないと思ったんです。これは今、考える価値はないと見切ったわけ」

 目の前の雅斗さんは、すっきりした顔立ちの爽やかな万年青年といった印象だ。そんな彼が、息がつまるような幼い日々を送っていたのかと思うとせつなくなる。

「中学の入学式のとき、あとで行くからと言っていた祖母が来なかった。母も来ませんでしたが、最初からその気はなかっただろうからあきらめていた。けど、祖母が来ないことには腹が立ちました。式が終わって家に帰ると誰もいない。アパートの隣の部屋のおばちゃんが『おばあちゃんが急に倒れて救急車で運ばれた』って。入れ違いに学校に病院から連絡が入ったようで、担任となった先生がバタバタ走ってアパートにやってきた。隣のおばちゃんが病院まで付き添ってくれました」

「母の中で何かが切れてしまった」

 覚えているのは、ベッドに寝ている祖母の顔を、母がじっと見つめているところだけだ。その後、母とふたりだけで通夜と葬儀をすませた。祖母もその地域に10数年住んでいたのに、友だちひとりできていなかった。

「祖母の葬儀が終わると、母は仕事に復帰しましたが、それからは帰ってきたり来なかったりでした。母の中で何かが切れてしまったんでしょう」

 彼は「自分の立ち位置」がわからなくなっていた。母に対してどういう態度で接すればいいのか、息子として甘えたい気持ちはあったが、そうするには年がいきすぎていた。無邪気に母を求める年齢ではなくなっていたのだ。だからといって、母を守る立場にもなりきれなかった。

「こういう背景があると、多くの人は母親に対して愛憎相半ばという感じになるんでしょうけど、僕はなぜかもう少し淡々と母を見ていました。高校生で子どもを産んだ女性が、この先どうやって生きていくんだろうというような。自分の冷たさにぞっとすることもありました」

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