未婚で僕を産み、ホステスとして働く母を侮辱され… 恋敵の“ひと言”で気づいた複雑な感情

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【前後編の前編/後編を読む】不倫相手と妻が溺れていたら、どちらを助けるか――40歳夫の「答え」に見る波乱の人生

 何につけても、ほどよいところで満足しきれない人たちがいる。ゼロか100か、突きつめるか撤退か。ものごとを白黒はっきりさせなければ身動きがとれない。不器用ともいえるが正直でもある。

 高杉雅斗さん(40歳・仮名=以下同)は、自分自身もそういう性格であると言った。その背景には育った家庭環境があると思うとも。

「今になればわかるけど、僕の母親は、女そのものという人だった。母親であることを拒絶しているような。彼女には彼女の言い分、思いがあったんでしょうけど、幼い僕を母の元に置いていた周りの責任も結構大きいと思っています」

 雅斗さんが生まれたのは、とある地域の小さな村。集落の人々は助け合っていかなければ生きていけない。そんな地域で、母親は高校生のときに妊娠して雅斗さんを産んだ。誰が父親なのかわかっているはずなのに、母は誰にも何も言わなかった。

「物置で出産して、それが母の母、つまり祖母が気づいて救急車を呼ぼうとしたら祖父に止められ、しかたなく祖母が車で町の医者に連れていったと聞いたことがあります。出産前に医者にはかかっていなかったということなんでしょう。祖父は世間体を気にして、娘と孫の命を危機にさらした。僕は生まれながらにして、非常に劣悪な環境にいたんでしょうね」

 雅斗さんを抱いて退院した母は、実家にもいられず、もちろん高校にも戻れず、近所の人たちの目を避けるように故郷を捨てた。その後、祖母は娘と孫のあとを追うように家を出た。ひとり残された祖父は、「先祖や親戚にも面目ない」と自ら命を絶ったという。

「なにやら壮絶な話でしょう? そんなところに生まれた僕は、どうやって生きていけばいいんだろうと若いころは真剣に悩みました」

祖母に育てられ…たまのお土産に喜ぶ当時の自分が「せつない」

 若かった母は、雅斗さんを育てながら水商売の世界に入るしかなかった。とはいえ競争社会の象徴のような場所だ。稼げるホステスになるために母は必死で努力した。孫のめんどうを見ると言う祖母に背を向け、母はたったひとりでがんばろうとした。

「それでもさすがに僕が熱を出したりすると、仕事にも行けないので、確執のあった祖母と暮らすようになったみたいです」

 雅斗さんはこの祖母が好きだった。特に自己主張が強いわけでもなく、にこにこと雅斗さんを見守ってくれていた。自己主張しかないような母は、そんな祖母と一緒にいるのがうっとうしかったのだろうが、雅斗さんのためには祖母が育ててくれたことがよかったようだ。

「でも祖母がいることで、母は僕のめんどうをみなくなったとも言えます。休みの日でも、お客とゴルフのつきあいだとかなんとか言って出かけていく。母とどこかに行った記憶はほとんどありません。家では寝てばかりいたし」

 それでもときとき、高級なケーキの箱をぶら下げて帰宅し、「雅斗に買ってきたのよ」と笑顔を見せることもあった。おそらく客にもらったのだろうけれど、幼い雅斗さんは母に関心をもってもらえることがうれしかった。

「今思い返しても、そんなときの自分がせつなくなります。母の愛情を一心に願っているのに、それはめったに形にならない。祖母が母に説教めいたことを言っているのは聞いたことがありません。考えてみればそれも不思議ですよね。高校生で出産した娘を、祖母はどう思っていたのか、僕にはよくわからないんです」

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