「紅白初出場」を決めて西田敏行さんが漏らした「ありがとうな…」 元敏腕マネージャーが明かす秘話

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仕事では厳しい面も

 日本を代表する名優の1人、西田敏行さんが逝った。76歳だった。芸能界屈指の人格者として知られるが、仕事については厳しかった。1970年代から80年代に西田さんのマネージャーを務めていた館野芳男氏(ワイティー企画代表)が当時を振り返る。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

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 西田さんは温厚で優しい人だったが、仕事となると話は別。厳しい面もあった。そうでなかったら、一流の俳優にはなれない。

 1968年から劇団青年座に所属していた西田さんは、旧制中学の数学教師・山嵐に扮したNHK「新・坊っちゃん」(1975年)やTBSのホームコメディ「いごこち満点」(1976年)で頭角を現したが、3番手や4番手。...

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