キノコ狩りで「遭難」する人が減らない納得の理由 「家族にもどこの山に入るか教えない“名人”もいる」

国内 社会

  • ブックマーク

キノコ狩りは戦争である

 それほどのリスクがあるのに、なぜ、教えようとしないのか。それは、キノコ狩りが盛んな地域において、マツタケ、マイタケ採りが熾烈な戦いになっているためである。地元の料亭や市場に卸したり、朝市や道の駅で販売するキノコ狩り名人は、誰よりも早く、確実にキノコを採らねばならない。そのため情報漏洩は厳禁なのである。

 そして、マツタケは数本採取しただけで周囲に対しマウントがとれる。大きなマイタケの株は抱えて写真を撮れば迫力がある。家族がとにかく喜ぶし、周囲のキノコ仲間が羨望の眼差しを向けてくるのだ。Instagramを見ると、採れたキノコをずらりと並べた写真を載せている人がいる。明らかにマウントを取ろうとしているのがわかるだろう。

 腕時計の愛好家のオフ会では、コレクションのロレックスやパテックフィリップの腕時計を並べて撮影するのが定番だ。ポケモンカードのコレクターはレアカードをずらり並べて撮影するし、フィッシングをする人は釣った大物を抱えた写真を撮り、SNSに載せるのが流行っている。キノコ界隈もやっていることは同じだ。価値の高いレアものを自慢したがるのは、人間の本能なのかもしれない。

キノコ狩りはアドレナリンが出る

 スーパーのキノコでは満足できない理由は他にもある。やはり天然キノコは、栽培ものにはない風味がある。天然のブナシメジは独特の苦みがたまらないし、マイタケは歯ごたえも香りも別格だ。それは秋田県民が好む日本酒と相性が抜群にいい。そんな幸福を提供してくれるものが山に生えているのだから、キノコ狩りをしたくなるのは当然であろう。

 そして、キノコを見つけた時の興奮は凄まじいものである。おそらく、とんでもなくアドレナリンが出るのであろう。一説によれば、マイタケの名の由来は、発見した人が嬉しさのあまり舞い上がったためだといわれる。他にも、ナメコやナラタケが倒木に大量に発生する光景を見たときの感動は、何物にも代えがたい。

 キノコとは一期一会の出合いである。山に行けば必ず出合えるわけではなく、タイミングが大事になる。毎年発生する場所に行っても発生していないことがある。対面できるかどうか、現地に行くまでドキドキだ。だからこそ、見つけたときの感動は格別だし、人々がキノコの魔力に取り付かれてしまう要因だと思う。

スマホが普及してリスクは減ったが……

 筆者が子どもの頃はキノコ狩り名人が近所にたくさんいた。朝市にはマツタケなどの高級なキノコがずらりと並び、買い求める人々が行き交い、紙幣が飛び交っていた記憶がある。キノコに対してムキになる大人が多かった印象を受けるが、地元に住んでいる人に話を聞くと、キノコ狩り人口こそ減ったものの、彼らの性格は今も変わらないらしい。

 キノコ狩りを取り巻く事情も様変わりしつつある。マツタケなどは人の手が入った、ある程度管理された山に生える傾向がある。しかし、最近は山を管理する人が高齢化し、山が管理されなくなって荒れ果ててしまい、収穫量が減った地域もあるという。そのため、数少ない発生地を巡り、キノコ狩り名人同士で熾烈な戦いを展開しているケースがあると聞く。

 スマートフォンが普及し、山の中でも電波が届くことが増えたため、かつてよりは遭難のリスクは少なくなったといわれる。しかし、万が一遭難した場合、家族に心配をかけることになるだろうし、近所の人にも迷惑をかける可能性が高い。せめて、家族には行き先を事前に伝えるようにして、安全なキノコ採りライフを送ってほしいものである。

ライター・山内貴範

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。