野良猫が歩けない社会は本当に幸せか? ドキュメンタリー映画「五香宮の猫」で“神社”に集まる猫に名前がある理由

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 JR岡山駅から車で約50分、瀬戸内市の南に位置する牛窓はかつて栄えた港町。現在は「日本のエーゲ海」とも称される観光地だが、自治体としては高齢化と過疎化の波に直面している。観光客が少ない時期なら、道を通るのはそこはかとない郷愁と潮風だけだ。

 海沿いを東へ進む道すがら、石段を上った高台に「五香宮」という神社がある。通称「猫神社」。想田和弘監督のドキュメンタリー映画「五香宮の猫」は、タイトル通りそこに集まる地域猫たちをとらえたものだ。ただし、彼らの愛らしさや動物保護に焦点を当てたいわゆる「猫映画」ではない。

「(牛窓の)住民の皆さんと猫の間には類似点があると思います。それは五香宮から近い将来、猫も人間もいなくなってしまうのではないかという危惧です。そうした感覚は撮影中も覚えていました」(想田監督、外国人特派員協会での会見より、以下同)

 海と空の美しさはそのままでも、住人たちの暮らしは町の栄枯盛衰とともに幾多もの変化を経た。

「ドキュメンタリーを撮る上ではいつも、こうした貴重でとてもいとおしい時間をキャプチャーして、それをタイムカプセルの中に入れるように『映画』という形で保存しておきたい、という思いがあります。そこで繰り広げられる光景が非常に儚いと感じるほど、そうした思いが増すのです。この映画においても、ある時代の最後の瞬間をキャプチャーできたのではないかと思っています」

野良猫も歩くことができない社会

 では、本作は「猫とノスタルジー」を堪能する内容なのだろうか。それも違う。いくら高齢化と過疎化が進もうとも、誰かがいる限り生活は続く。想田監督のカメラは、生活を続ける「人と猫」の姿を淡々と追い続ける。

 五香宮の前にある防波堤には、猫に魚をお裾分けしたり、たまに奪われたりする釣り人がいる。猫は奪った魚を子猫に与えるが、別の子猫がそれを邪魔する。境内には、よそからやってきた愛猫家や猫に食べ物を運ぶ人、不妊・去勢手術のために猫を捕獲する人がやって来る。その脇で黙々と草木の手入れをする人は、実は猫があまり好きではない。住民の会合では、猫の糞尿被害を訴える人と、猫を観光資源にできないかと考える人が話し合っている。

「僕は猫が大好きなので、猫がいなくなるのは悲しいと思っています。一方で、猫の糞尿問題などがあるとする住人がいるのは事実ですし、その立場もわかります。僕も折衷案のようなものを見つける必要があるのではと思い、TNR活動に参加していますが、活動を100%ポジティブに捉えているかといえばそうでもないんです」

 地域猫に不妊・去勢手術を施して元の場所に戻すTNR活動は、世界的にもポピュラ―な対応策だ。想田監督と本作のプロデューサーである妻の柏木規与子氏も、2021年に牛窓へ移住した頃から活動に参加している。だが、想田監督は「自然に逆らった、非常に暴力的な手段」により猫がいなくなるこの活動が、「本当に正しいのかどうかはよくわからない」と吐露する。

「世界中のいわゆる先進国において行われ、またどこの国もこうした状況だと思います。つまり、街中が制御された清潔な社会において、猫のようにイレギュラーな存在や、制御下に置けない存在の生きる場所がどんどん狭まってきているのではないかと思うのです。野良猫が歩くこともできない社会が果たして幸せな社会なのか、非常に疑問を感じています」

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