九州のラーメン屋で「バリカタ」は少数派? 意外過ぎる指摘も、店主は「ゆで方は“普通”が一番おいしいっスよ」
権力を得たラーメン
勝手に周囲の客が「ケッ、このトーシローが(笑)」と嘲笑うのであろうと思い込んでしまっているわけなのだが、それほど東京における「バリカタ信仰」というものは強固である。私も20年ほど前、東京の博多ラーメン屋では同行者に従い「バリカタ」を頼んでいたものだが、実際に本場で食べ続けるにつれ、「普通」の方が圧倒的にウマいことに気付いてしまい、今では東京で九州ラーメンを食べるにあたっても「普通」を選ぶようになった。
「ラーメンには権力のにおいがする」――これは、かの有名なラーメンズ・片桐仁氏が2004年にテレビブロスの「ラーメン特集」の巻頭インタビューで述べたひと言である。そりゃあ高級寿司店やら高級フレンチで緊張するのは分かる。何しろ箸で寿司を食べたら周囲から「ケッ、素人が」と思われ、フレンチでビールを頼んだらウェイターから「チッ、分かってねぇなぁ。フレンチではワインだよ」と苦笑いされるものだから。
しかし、ラーメンは安価ながらもこの権威性と支配力を手にしたのであった。それは言うまでもなく客が勝手に「ラーメン道」という名の作法を生み出し、常連ならではの暗黙知を知らぬ客をバカにするところから始まっている。ラーメン二郎の「ヤサイマシマシアブラ」といった呪文のごとき言葉は、築地の料理店で丼の具部分だけを頼む「アタマ」などに共通する。
築地の場合は、常連客と店との間の阿吽の呼吸があるのだろうが、とにかく「ラーメン道」を追求する素人は、こうした符牒というか、呪文を言うことこそ通だと思い込んでいる。それは挙げ句の果てには牛丼屋で「ツユダクダクネギヌキギョク」などと言うまでになってしまったことに繋がるのである。
好きに食わせろ
えぇい、同じカネ払うんだから、お前ら「道」を究めたヤツらはあまり素人をいじめないでくれ! なんてことを思うのである。その点、横浜を発祥とする家系ラーメンの場合は、おおらかである。
というのも、家系の場合は麺の硬さ、スープの濃さ、油の量を聞いてきてくれる。ここには「通」の概念はなく、「各人が好きなようにしろ」という思想があるのだ。さらに、やたらとライスがスープに合うこともあり、ライスにキュウリの漬物を載せ、そこに豆板醤を載せてラーメンに入った海苔で巻く、といった行為こそ至宝! と考える者もいるし、「いや、私はそこにショウガとゴマをかけます」なんて人もいる。
家系ラーメンは各人がカスタマイズしながらそれぞれの丼を楽しむ伝統があるのだが、九州ラーメンはとにかく「バリカタがエラい!」という誰が作ったのか分からん伝統がまかり通っている。さらには「最初から紅生姜や高菜を載せるのは邪道」なんて言う人もいる。ラーメンぐらい好きに食わせろ!