異色の舞台「摂」で描かれる舞台美術家・朝倉摂の青春時代…「松本清張」連載小説では挿画も…担当編集者が明かす秘話「“摂っちゃん”“清張さん”と呼び合う仲でした」

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自分のことを「ボク」

「最初の数回は、迎賓館内部が舞台です。そこで、挿絵に、迎賓館で海外VIPに供される食事メニューの一部をコラージュ風に入れて描いていただきました。実は、迎賓館の内部構造やメニューなどは、国家レベルの機密事項なんです。それを、こちらは取材で入手していたので、朝倉さんに参考資料にしていただいたのですが、この挿絵が問題になった。“いったい、どこからメニューが漏れたのか”と、外務省内で“犯人探し”がはじまったのです。もちろん、朝倉さんには関係のないことですが、もしや、外務省の“調査”が、朝倉さんのもとまで行きやしないかと、ヒヤヒヤしました」

 また、このころ、朝倉さんは、海外での仕事も多くなっていた。あるとき、三木稔作曲、セントルイス歌劇場初演のオペラ《じょうるりJoruri》の美術・衣裳の仕事で、アメリカに出張することになった。

「連載開始の翌年あたりから、ファクシミリが出はじめていました。そこで、こちらからファクシミリで送信した原稿を読んでいただき、むこうで描いた下絵を、やはりファクシミリで送っていただいて、日本でお弟子さんに仕上げてもらうことにしました」

 ところが、セントルイスのホテルには、まだファクシミリが導入されていなかった!

「現地の日本企業の支店にもたのんだのですが、土日なので、開いていない。もうダメかと思いました。ところが、朝倉さんが『ファクシミリ、見つけたわよ』と電話してきた。なんと、町中のペットフード店にあって、やってくれるというのです。おそらく、大の猫好きの朝倉さんのことですから、何かのカンがはたらいたのでしょう」

 こうしてまる2年、ちょうど100回にわたった連載は、一度も落ちる(休載になる)ことなく、無事に完結した。

「朝倉さんには、トラブルのたびに助けていただきました。『聖獣配列』が完結できたのは、朝倉さんの力が大きいと思っています。困ってしまって窮余のお願いをした際に返ってきた、『いいわよ!』の気風のよいひとことが、いまでも耳について離れません」

 たしかに朝倉さんには、江戸っ子のような威勢のよさがあった。今回の劇中でも、若いころ自分のことを“ボク”と呼んでいる。富沢亜古さんによると、

「わたしの子供時代、まだ“ボク”と呼んでいた記憶があります。かつては画壇も男社会でしたから、女に生まれたことが悔しかったのではないでしょうか」

 晩年は、夫の冨澤幸男氏(映画プロデューサー)ともども、体調を崩し、病院や施設で過ごすようになった。

「変わった夫婦でしたね。父とは、仲はよかったものの、お互いを“個”として、離れて認めあうような関係でした。亡くなる1年前に体調を崩して、ともにおなじ病院に入ったのですが、別々の病室にいて、会おうとしないんですよ。仕方ないので、わたしが父を車椅子に乗せ、母の病室まで連れていき、握手させました。それが、二人が会った最期です。その後、2014年3月に母が亡くなり、翌年6月に父が亡くなりました」

 多くの舞台美術や挿絵、日本画を生み出した朝倉摂さんは、今度は「演劇」となって舞台上で生きつづけることになった。舞台「摂」は、東京・新宿の紀伊國屋ホールで10月28日~11月6日、つづいて兵庫・尼崎のピッコロ・シアターで11月9、10日に上演される。

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部

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