異色の舞台「摂」で描かれる舞台美術家・朝倉摂の青春時代…「松本清張」連載小説では挿画も…担当編集者が明かす秘話「“摂っちゃん”“清張さん”と呼び合う仲でした」

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挿絵や装幀画でも知られ

 今回の舞台では、主に、太平洋戦争をはさんで、朝倉摂さんの若き時代が描かれる。伊東深水に学び、日本画家として活躍するものの、女性ゆえに受け入れられない。閉鎖的な画壇に抵抗し、共産党員だった時期もある。舞台美術を本格的に手がけるようになったのは、48歳のとき、アメリカのロックフェラー財団での招聘でラ・ママ実験劇場で学んでからのことだ。そこから91歳で亡くなるまでに、1600本以上の舞台美術を手がけたのだから、遅咲きともいえる。

 そんな朝倉摂さんを語る際、もうひとつ、忘れてならないのは、絵本や挿絵などの、イラストレーターとしての仕事だ。

 実は、朝倉さんは、新潮社でも多くの挿絵や装幀を手がけており、特に「週刊新潮」では、四半世紀にわたって、6作品の連載小説に挿絵を寄せてきた。

「真昼の罠」黒岩重吾(1961年7月~1962年1月)
「北の林」原田康子(1967年1月~7月)
「あの橋まで」水上勉(1970年10月~1972年10月)
「カーテン」アガサ・クリスティ/常盤新平訳(1975年10月~11月)
「状況曲線」松本清張(1976年7月~1978年3月)
「聖獣配列」松本清張(1983年9月~1985年9月)

 ある新潮社のOB編集者が語る。

「朝倉さんの場合、作品によって、絵のタッチや技法が、まったくちがうんです。あるときはペン画、あるときは日本画や墨絵風、あるときはコミック風。いくら時期がちがうとはいえ、これがひとりの画家によって描かれたものとは、とうてい思えない。実に多彩な才能の持ち主だったことがうかがえます」

 このなかで、松本清張「聖獣配列」の連載を担当したのは、現在、ジャーナリストとして、BS-TBS「報道1930」などの解説で活躍している、堤伸輔さんである。

「『聖獣配列』の連載が決定したとき、挿絵について、過去の清張さんの連載を調べました。その結果、やはり朝倉摂さんしかないと思い、お願いにあがったんです。『週刊新潮』の『状況曲線』、読売新聞連載『砂の器』の挿絵も、朝倉さんでした。すでにお二人は顔見知りで、“摂っちゃん”“清張さん”と呼び合う仲でした」

 それだけに、朝倉さんは、清張さんの原稿が遅いことも、すでに承知だった。

「朝倉さんは『ちゃんと原稿を読んで描きたいから、あまりギリギリだと、いい絵が描けない。なるべく早くお願いしますね』といい、清張さんも『わかってるよ、大丈夫』といっていましたが……」

 もちろん、そううまくいくわけがない。

「余裕をもって原稿をいただけたのは、第1回だけでした。はやくも第2回から凄まじいことになり、朝倉さんに、たいへんなご苦労をかけることになりました」

 当時、連載小説の校了は、土曜日の夜8時だった。それを過ぎたら、小説の頁は、なにがなんでも印刷をはじめなければならない。

「清張さんが徹夜で書き上げるのが、決まって土曜日の明け方でした。そこで、朝6時に浜田山のご自宅に行くと、郵便受けの裏側に、封筒に入れた原稿が挟んで置いてある。それを引き抜き、急いで編集部にもどってコピーをとり、指定を書き入れて印刷所へ入稿。その足で、今度は代々木にある朝倉摂さんのアトリエにまわり、原稿コピーを郵便受けに入れる。まだメールどころか、ファクシミリすら、ない時代です」

 ほかの取材がなければ、いったん帰宅してバタンキュー。仮眠して、昼過ぎに編集部にもどり、出たばかりのゲラ(仕上がりどおりに組んだ仮の頁)を抱えて、ふたたび清張さん宅へ。

「すぐに、その場で著者校正(ゲラ直し)をしていただく。済んだら、それを抱え、夕方、ふたたび代々木の朝倉さんのアトリエへ。描きあがった挿絵をいただき、編集部で著者校正と挿絵を合体整理して入稿。すべてが終わるのが、夜の8時すぎ。そんな綱渡りを、2年間、毎週やっていたんです」

 しかし、朝倉摂さんは、絶対に文句はいわず、毎週、キチンと原稿を読み、半日で毎回2枚の挿絵を描いていた。この連載では紙にもこだわり、白い絵画用の紙ではなく、やや濃い目のグレーの紙に鉛筆を使っていた。ハイライト(明るく光る部分)などを入れやすくする工夫でもあった。

「『聖獣配列』は、銀座のクラブのマダム・中上可南子が、日米間の政治経済の“闇”に巻き込まれるサスペンス小説です。朝倉さんは、日本画の素養があるだけに、この可南子を、見事な美人画に描いてくださいました。また、あるときは、わたしが欧州取材で撮影してきた写真をもとに、先進的なコラージュでデザインしていただきました。これなども芸術的で、素晴らしいイラストレーションでした」

 だが、2年間の連載中、すべてが順風満帆ではなかったようだ。

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