「現実は平和ではないし、五輪は商業主義になり過ぎた」 原爆投下1時間半後に生まれた聖火ランナーが伝えたかったこと(小林信也)
固辞した有力候補
聖火にまつわる逸話はいろいろある。坂井の前に有力候補に挙げられた選手もいた。東京五輪の陸上男子800メートルに出場した森本葵(まもる)だ。中央大時代に日本選手権を連覇。リッカー入社後は旧西ドイツに留学し、レースでしばしば賞金を稼いだ。東京ではメダルを狙っていた。だから、
「リッカー陸上部の監督だった吉岡隆徳先生が、『聖火ランナーの最終走者の話があったが断った。メダルを取って日本の陸上競技の歴史を変えろ』とおっしゃった」
と朝日新聞の取材を受けて証言している(2018年1月26日付)。単なるうわさでない証拠に、森本の手元には贈られた聖火リレーのトーチが保管されている。五輪直前に留学先から帰国した森本は急性肝炎にかかり、準決勝6着に終わった。
三島由紀夫の観戦記
国立競技場を埋め尽くした大観衆の声援の中、坂井が聖火台に続く階段を昇り始めた。真っ白な短パン、鮮やかな日の丸と五輪マークが胸についた白いランニングシャツ。凜(りん)とした姿勢で163段の階段を駆け上がる雄姿はテレビを通じて日本中、世界中の人を魅了した。無言の疾走は特別な輝きをまとっていた。
小学校2年だった私も固唾(かたず)をのんで点火を待った。
科学技術を駆使した演出は一切ない。階段を駆け上がった坂井が聖火台の脇に立ち、高く掲げたトーチをかざす。聖火台から勢いよく炎が立ち上った瞬間の感動と興奮はどんな演出にもまさる荘厳さだった。
新聞特派記者として観戦記を書いた作家・三島由紀夫は熱い筆致で記している。
「彼の肢体には、権力のほてい腹や、金権のはげ頭が、どんなに逆立ちしても及ばぬところの、みずみずしい若さによる日本支配の威が見られた。この数分間だけでも、全日本は青春によって代表されたのだった」
聖火が燃え盛った瞬間、日本が一つの思いで結ばれた。64年の東京五輪にはそんな祈りと絆があった。
坂井は五輪の2年後のアジア大会(バンコク)男子400メートルで銀メダル、男子1600メートルリレーでは金メダルを獲得した。だが、メキシコ五輪には出場できなかった。卒業後フジテレビに入社。ミュンヘン五輪ではゲリラ事件に遭遇し、取材にあたった。坂井は語っている。
「現実は平和ではないし、五輪は商業主義になり過ぎた。憤っている」
「五輪のことを伝えるのは僕の死ぬまでの仕事。(聖火リレーに)実際に関わったのは3分だけど、背負った以上は仕方ない」
2014年9月10日、69歳で逝去。あの日から60年の節目に、坂井の遺志を受け継がねばならないと改めて思う。
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