「現実は平和ではないし、五輪は商業主義になり過ぎた」 原爆投下1時間半後に生まれた聖火ランナーが伝えたかったこと(小林信也)
「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」、NHK北出清五郎アナウンサーの第一声が流れたのは1964年10月10日。台風による前日の荒天がウソのように晴れた東京・国立競技場に過去最多94の国と地域が集まる東京五輪開会式。最大の注目は聖火点火、その大役を任ったのが坂井義則だった。
早稲田大1年の19歳。陸上男子400メートルで東京五輪出場を狙ったが、選考会で4位にとどまりかなわなかった。代わりに、予想もしない重責を託された。...