ひいきチームのファン対立からパレスチナ紛争まで… 人を争いへと誘う「悲しき性」をシカゴ大教授が解説
人は時に、相手に懲罰を与えるために無償で得られる報酬を放棄する
「最後通牒ゲーム」をご存知だろうか? 人は、不公正な分配をした相手に懲罰を与えるためには、無償でもらえるお金を放棄する傾向がある。もし、ささやかな報酬が、無作為に与えられたり、コンピューターによって分配が決められたり、状況のせいで制限されたのだとわかれば、憤りは弱まり、相手が大きな取り分を得ることを認めるだろう。だが、それが不可抗力かどうか不確かな場合、誤った解釈によって、内集団の行為を好意的に解釈し、外集団の行為を不公正と判断することになる。
残念なことに、私たちの投影や解釈は容易には変わらない。人は動機付けられた方向に信念をアップデートするからである。私たちは、自分のものの見方や所属するグループに都合のいいニュースを信じやすく、そうでない事実は割り引いて捉える。
一方、悪意を持って敵の言動を捉え、和平を探ろうとする相手のシグナルを無視する場合は深刻な問題になる。 ほかにも私たちの視界を閉ざすものがある。例えば、私たちは、自分と反対の見解に直面すると思うと、過大な不快感を予期して、それに耳を傾けることを避けてしまう。
一例を挙げると、アメリカの上院議員ヒラリー・クリントンの支持者は、2017年にドナルド・トランプが行った大統領就任演説に対し、自分がどのくらい嫌悪感を抱くかを実際よりも大きく予測したという、心理学者グループの調査研究がある。私たちは意見の違いがあることはよくわかっていても、その溝の大きさを評価したり、そこに橋を架けることの難しさを判断したりするのは、あまり得意ではないのだろう。
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この記事の前編では、同じく『戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか』(草思社)より、西ヨーロッパで起きた最悪の紛争の1つ「アイルランド紛争」を例に、グループ間の対立がエスカレートしていく過程を人間の“ある欲求”を手掛かりに解き明かしている。