江川卓、落合博満、野村克也…名選手が引退を決意した“瞬間” ノムさんが深く反省し、引退を決意した“出来事”とは

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「チームが負けることを望むようになったら、おしまいだ」(野村克也)

“生涯一捕手”として45歳までプレーした野村克也が引退を決意した試合は、西武時代の1980年9月28日の阪急戦だった。

 この日まで2位・ロッテに2.5ゲーム差の首位で、後期優勝(同年のパ・リーグは2シーズン制)も目前だった西武は、阪急とのダブルヘッダー第1試合、8回に土井正博のタイムリーなどで1点差に迫り、1死満塁で野村に打順が回ってきた。

 外野に同点犠飛を放つ自信があった野村だったが、この場面で根本陸夫監督は、代打・鈴木葉留彦を告げる。

 納得できない思いでベンチに下がった野村は「打つなよ、絶対に打つなよ」と念じ、鈴木が二ゴロ併殺に倒れると、心の中で「ざまあ見ろ!」と快哉を叫んだ。

 同点機を逃した西武は3対5で敗れ、第2試合も6対7で連敗。ここから悪夢の6連敗を喫し、あっという間に優勝戦線から脱落した。そして、阪急戦の直後、野村も「チームが負けることを望むようになったら、おしまいだ」と深く反省し、引退を決意したという。

 だが、引退の理由はそれだけではなかったはずだ。阪急との第2試合でも、7回から“セーブ捕手”としてマスクをかぶった野村は、6対6の8回2死一塁、井上修の二盗を見抜きながら、肩の衰えから刺すことができず、次打者のタイムリーで決勝点を許していた。ダブルヘッダー2試合で計11回走られ、すべて進塁を許したことで、捕手としての限界を痛感させられたと思われる。

 いずれにしても、現役27年目の“最後の優勝のチャンス”で結果を出すことができなかった阪急戦が、自らの引き際を悟った試合と言って良いだろう。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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