大谷選手は「勝ちたい」という意識から離れてみては 目的も計算も計画もない「三昧」のススメ(横尾忠則)

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「三昧」と書いて「さんまい」と読む。どうも仏教用語らしい。僕は「ざんまい」とばかり思っていたけれど、正式にはさんまいらしい。でも日常会話では「ナントカざんまい」といいませんかね。その意味は雑念を払って心のおもむくままに無我の境地になって、一瞬にして精神を好きなものに熱中させること、つまり心のまま勝手にすることなんですが、そう簡単に三昧にはなれません。

 僕が禅寺に参禅していた時は、ほとんど一日中坐禅を強制され、それを「禅三昧(ざんまい)」と呼んでいました。坐禅は雑念を払う行為ですが、そう簡単に払えません。今日、言いたいことは坐禅のような難しい三昧ではなく、何事かに夢中になることについての話題です。

 僕は物心がつくと同時に絵の模写に熱中していました。つまり三昧していたのです。読書三昧という言葉がありますが、僕は前にも書いた通り読書が大嫌いだったのです。だから読書に代って模写三昧ばかりしていたように思います。三昧というのは頭を空っぽにすることだと思うのです。禅三昧がそうです。何も考えられない状態に自分を持っていくことです。すると読書三昧という言葉はおかしいように思います。本を読みながら何も考えないというのは難しいです。むしろ考える行為ですから、読書三昧というのは矛盾しています。

 僕は模写三昧の他に、物を蒐集することに熱中していました。今もそうですがコレクションが趣味です。小川に魚を獲りに行く時は、夕方になって暗くなっても夢中で小川に飛びこんで魚を追っ掛けていました。何も考えない、肉体に行為を宿すことによって、やはり頭の中を空っぽにするのです。頭が機能している間は三昧とはいわないような気がします。

 三昧は目的を持った瞬間から三昧にはなれないように思います。無我夢中とは目的から解放されて真の自由を獲得した瞬間のことではないでしょうか。

 僕はゴルフもマージャンもしませんが、やはりこれらに熱中している人はある意味で無心かも知れませんね。しかし、自我が滅却して欲得から解放されないと、真の無心とは、三昧とはいえません。するとスポーツや勝負事はどうしても欲望に支配されるので三昧にはなれませんね。でも中には、勝負強い人がいます。そういう人はきっとルールだけに集中しているので勝とうという欲望からは解放されているのではないでしょうか。

 将棋の藤井聡太さんがなぜあんなに強いのかというと、記憶力がいいとか、無数の手を持っているとかいいますが、そういう才能とは別に、盤上の一挙手一投足にのみ集中していて、勝とうという意識はもしかしたら、滅却してしまっているのではないでしょうか。だから、色んなものが見えるのではないでしょうかね。

 大谷翔平選手は「勝ちたい」という気持が非常に強い人ですが、勝ちたいという意識は自我意識なので、もし大谷がその意識から離れて、プレイそのものに三昧になれば、もっと今以上に向上するように思いますが如何でしょうか。コーチは大谷に技術的なことをサゼッションしていますが、心の最も深いところではやはり、欲望の有無のキャパシティが左右しているように思います。

 三昧が仏教用語であるというのが少しずつ納得できるような気がしてきました。仏教の最終的な境地はやはり悟りだと思うのです。三昧の最中に雑念という欲望が次から次へと去来します。するとその雑念に振りまわされてなかなか三昧気分にはなれません。

 究極の三昧はやはり悟りということになるのではないでしょうか。辞書で「悟り」という項目を見ると、悟りとは迷いからさめて、真理を会得した境地に到達する。または隠されていた事情に気がつくと書かれています。

 つまり、三昧とは悟りへの道だったのですね。禅でいう悟りは頭で考えて到達するのではなく、むしろ肉体感覚を通して至るものらしいのです。だから、いくら頭で知識などを吸収して論理的に問題を解明したといっても、それは知識、教養の範囲内のことで、仏教でいう悟りとは全然違うものです。

 頭を観念でいっぱいにするのではなく、むしろ頭を空っぽにした結果到達した世界、つまり三昧の結果、到達した境地こそ悟りであるということになりそうです。

 仮に禅の高僧のように悟らなくても、物語に夢中になって三昧状態になることで、ある日、ふと気がついたら、悟っていた! というようなことが起こらないとは限りませんよね。

 スポーツでも習い事でも何んでもいいです。とにかく夢中になって、目的もなく計算も計画もなく、三昧になってみたらどうでしょう。遊びも三昧です。別に悟らなくても知らず、知らずに限りなく、悟りに近づいているかも知れませんよ。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年10月17日号掲載

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