藤田小女姫事件で「濡れ衣を着せられた」 獄中死した日本人受刑者の主張はなぜ退けられたのか

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第2回【藤田小女姫事件の公判で「完全否定」を一転 獄中死した日本人受刑者は「真犯人」を知っていたのか】の続き

 現地時間10月13日夜、ハワイの刑務所で死亡した福迫(ふくさく)雷太受刑者(59)。1994年2月23日に占い師の藤田小女姫(こととめ)さんと息子の吾郎さんがハワイで殺害された事件で有罪となり、終身禁固刑が確定していた人物である。現地警察の発表によると、福迫受刑者を刺殺したとみられる男は居室が同じだった38歳。詳しい身元などは明かされておらず、殺人事件として捜査が始まっている。

「藤田小女姫母子殺人事件」は発生直後から日本とハワイで盛んに報じられた。当時の報道で事件を追うシリーズ第3回では、有罪評決を経た判決公判について。自白はなく、ほとんどが状況証拠で有罪評決につながった理由や、評決前になぜか取らなかった行動などについて伝える。

(全3回の第3回:「週刊新潮」1995年9月7日号「藤田小女姫殺しで服役三十年となった意外の確証」を再編集しました)

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「私は組織の一員で、濡れ衣を着せられた」

 ホノルル市中心部にある地裁で、1995年8月23日午前9時半すぎから始まった判決公判に、福迫雷太は服役者が着る草色のつなぎ服姿で現れた。その背中には、オアフ・コントロール・クライム・センターを略したOCCCの文字があった。公判の始まった2月当時に比べると、色も白く、かなり太ってはいたが、いたって健康そうだったという。

 判決言い渡しを前に、ゲール・ナカタニ判事から発言を促された福迫は、

「私は組織の一員で、濡れ衣を着せられた。だが、この件については一切口を割らないから、周囲の人に手出しをしてくれるな」

 という意味のことをいい、自分が殺害に直接関与したわけではないことをあらためて主張している。

 だが、判決は終身禁固。小女姫さんと吾郎君の第2級殺人(第1級との違いは計画性の有無)を合わせて「終身刑2回分」という理屈だ。ただし、第2級殺人の終身禁固には仮釈放が認められていて、そこに至るまで1件につき「最低15年」。つまり2件で「最低30年」の服役が科せられたのである。

(注:米国では裁判所が言い渡した最低刑期より仮釈放員会の決定が優先されるため、福迫受刑者も判決後の1995年11月、1件につき「最低20年」とされた。だが、上訴などで再審議が行われ、一時は1件につき「最低25年」に。最低20年で落ち着いたが、事件から20年後の2013年に仮釈放を求めた際に弁護側は、仮釈放と国外退去処分で日本に戻り、残りの刑期を日本で務めさせるよう複数回要請していたことを明かしている)

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