「殺人犯にされてしまう」 藤田小女姫事件の「福迫雷太受刑者」がハワイで獄中死…仮拘束前日の「2時間の肉声」
謎多き殺人事件の当事者が殺人事件で世を去るという奇しき因縁――。ハワイの玄関口、ダニエル・K・イノウエ国際空港から車で15分足らずの場所にあるハラワ刑務所で13日夜、59歳の日本人受刑者が死亡した。発見された際は、居室の床に倒れて血を流し、首に鋭利な刃物が刺さっていたという。
死亡した受刑者の名前は福迫(ふくさく)雷太。1994年2月23日に占い師の藤田小女姫(こととめ)さんと息子の吾郎さんがハワイで殺害された事件で、その翌年に終身刑が確定した人物である。現地警察の発表によると、福迫受刑者を刺殺したとみられる男は居室が同じだった38歳。詳しい身元などは明かされておらず、殺人事件として捜査が始まっている。
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仮拘束の前日に2時間インタビュー
「藤田小女姫母子殺人事件」は発生直後から大きく注目された平成の重大事件である。母子はともに射殺され、小女姫さんは自宅のクローゼットの中で、吾郎さんは愛車の中で見つかった。どちらの現場にも火が放たれていたという残忍な手口に加え、「政財界と縁が深い占い師」と「父親の名前が伏せられた息子」という母子の素性、小女姫さんが事件前に求めていた2万ドルの調達など謎が多い状況も、事件への関心が衰えない理由といえる。
事件から約2週間後、日本に帰国していた福迫受刑者は神奈川県警に出頭した。この際は聴取で終わったものの、ハワイの大陪審は3月30日(日本時間31日)、福迫受刑者を容疑や氏名を非公開のまま極秘起訴。これを受けて、地元のマスコミは翌31日の夕刊からすでに実名を報道していた。
福迫受刑者が東京高検に仮拘束されたのは4月4日のこと。「週刊新潮」はその前日、福迫受刑者に2時間のインタビューを敢行していた。ハワイでの裁判で主張が変わった箇所もあるが、第1回ではこのインタビューを再掲載し、当時の声を振り返る。
(全3回の第1回:「週刊新潮」1994年4月14日号「藤田小女姫殺害犯とされた本人と『会見二時間』の真贋」を再編集しました)
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次々と報じられた「疑わしい状況」
福追は地元の公立中学を卒業後、アンカレッジの高校に留学。ロサンゼルスの大学に進学したが、卒業しないまま、幾つかのビジネスを手掛けた。フリーターのような生活を経て、ロスで知り合った女性と一緒にハワイに移り住んだのが昨年7月。小女姫さんの自宅から徒歩15分ほどのコンドミニアム「ディスカバリーベイ」に住んでいた。
容疑者と目されたのは、ホノルル警察が部屋を捜索したところ、床に血痕が残っていて、血液型が吾郎さんのものと一致した上、絨毯が1メートル四方にわたって切り取られていたこと。家賃を滞納するなど金に困っていて、吾郎さんやダイバーズショップの店長に借金をしていたこと。事件当日のアリバイがなく、しかも「ディスカバリーベイ」の監視カメラに吾郎さんの車を運転する福迫の姿が映っていたこと。2日後の2月25日に質屋に宝石を持ち込み、換金後に航空券を購入、そのまま急いで帰国していること。カリフォルニア州で飲酒運転と銃の不法所持で逮捕歴があること等々、疑わしい状況が次々と報じられたからである。
「それでも大陪審が開かれるのは、血痕のDNA鑑定の結果が出てからだろうと見られていました。ところが、警察が鑑定を待つ一方でコンドミニアムの防犯カメラを念入りに調べたところ、そのうち地下駐車場に設置してあった1台に長椅子を運び込む福迫の姿が映っていた。そこで地下倉庫を調べると、その長椅子が見つかり、そこには血痕があったばかりか、小女姫さん殺害に使われたのと同じ弾丸がめり込んでいた。これが決定的だったようです」(現地事情通氏の話)
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