植田日銀総裁に反旗? 「利上げにブレーキをかけた」リフレ派残党の正体は

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 首相になったとたん手のひら返しを連発する石破茂氏には“通貨の番人”も動揺している。首相就任の翌日、植田和男日銀総裁と会談した石破氏が「追加の利上げをするような環境にはない」と発言。すると、10月3日には、日銀審議委員の野口旭氏まで、「利上げは極めて慎重に行うべきだ」と、追い打ちをかけたのだ。10年間続いた超金融緩和策(リフレ路線)を終わらせるために登場した植田総裁に、まるで弓を引く言葉である。

最後のリフレ派

 日銀担当記者が言う。

「野口氏が日銀の政策委員会審議委員に就任したのは2021年4月。黒田東彦(はるひこ)前総裁が退任する1年前で、いうなれば最後に選ばれたリフレ派の経済学者です」

 その野口氏、1982年に東大経済学部を卒業し、そのまま大学院に進んでいる。絵に描いたようなエリート学者のように見えるが実際はそうではない。

「野口さんは東大大学院博士課程を“単位取得退学”しています。つまり、東大で博士号を取れなかったということ(その後、中央大学から博士号授与)。そして、就職先は専修大学経済学部の講師でした。東大を経済学界の頂点とすれば、やはり見劣りがするポジションです」(同)

 同氏は、そのまま専大助教授、教授と昇進するが、どちらかといえば、経済学界の主流派に批判的な発言をする「先生」として知られるようになる。が、転機が訪れたのは03年。

 元大和総研主任研究員で「インフィニティ」チーフエコノミストの田代秀敏氏が言う。

「野口氏は早大の若田部昌澄教授らと共著で本を上梓します。著名なエコノミストたちを批評した本ですが、リフレ派で後の日銀副総裁となる若田部氏とのつながりがこれで分かる。そして翌年、『昭和恐慌の研究』の執筆メンバーに名前を連ねたことで、野口氏は本格的にリフレ派の有力メンバーとなった。同著は、昭和恐慌の原因が極端な緊縮策だったと主張する内容ですが、編著者は、これまたリフレ派の旗頭で日銀副総裁となった岩田規久男氏です」

 同著は反響を呼び、やがて日銀は黒田総裁の下で超金融緩和策へとかじを切る。だが、10年かけても目標とした2%のインフレを達成できなかったのはご存じの通り。日銀からはリフレ派が次々と去り、ただ一人、野口氏が残った。

「いわば、野口氏はリフレ派の殿将なのです」(同)

 植田総裁に一太刀浴びせたということなのだろうか。

週刊新潮 2024年10月17日号掲載

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