「軽んじられているものをかき集めると、ひとつのパワーに」 誰にもおもねらず“時代の記録者”であり続けた「山藤章二さん」の志【追悼】

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文化的な源は“落語”

 自分の文化的な源は落語だと語り、立川談志さんと親交が深かった。

 作家で立川流顧問を務めていた吉川潮さんは言う。

「談志師匠より1歳年下で、二人はほぼ同世代。章二さん、うめえや、と作品を評価していました。相談相手、話相手としても信頼していました。人間の本質を突く姿、相手の了見を見透かすことができる点も談志師匠と同じだったと思います。お互い率直に物を言い合える貴重な間柄でした。山藤さんは、談志師匠が新しいスタイルに挑んで険しい山を登っていくような軌跡をピカソになぞらえていました」

「立川談志と同じく毒舌」

 05年開始のNHKラジオ番組「新・話の泉」に出演。

 作家の嵐山光三郎さんは振り返る。

「山藤さん、談志の他にも毒蝮三太夫や松尾貴史、私などが出演するクイズ形式のおしゃべり番組。反省会と称し飲み会もあり、皆楽しみにしていた。山藤さんは談志と同じく毒舌を吐く。でもそれは照れでもあって優しくて気前もいい。この番組のように話し言葉も心に届いた」

 1女1男を授かるが、家庭のことは妻任せ。家で仕事をするのが好きだった。

「70の坂はきついぞ。80になると体が動きにくくなると言われました。自分に厳しく、仕事にしがみつく人ではなかった」(嵐山さん)

 21年に勇退。昨年末、愛妻に先立たれていた。

 9月30日、老衰のため87歳で逝去。

 自身を“現代の戯れ絵師”に過ぎないと語り、誰にもおもねらず時代の記録者を貫いた人だった。

週刊新潮 2024年10月17日号掲載

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