早くも朝ドラ視聴率「一ケタ突入」の危険も…「おむすび」のストーリーに視聴者が共感できないのはなぜか

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モデル不在は言い訳にならない

 もっとも、ドラマには良作か凡作か、人気作か不人気作かしかない。仮に「おむすび」の評価このまま高まらず、人気も低調のままであろうが、「オリジナルストーリーの現代劇で、主人公が普通の女性だったから」という言い訳は通用しない。

 視聴率を度外視し、現時点までのドラマの質を推し量ると、出演陣の演技は出色である。芸能生活50周年の松平健は一流のベテランらしい仕事を見せている。たとえば見てくれの悪い野菜を売るときの永吉のセリフは含蓄に富んでいた。

「形が悪かろうが、見てくれが酷かろうが、この世にクズなんてものはなか」(第4回)

 知らぬ間にハギャレンたちのことも指していた。キザなセリフなのだが、松方の言い方に奥行きがあるから、そうなっていなかった。

 永吉は貫禄ある男なのだが、トホホなホラを吹いたり、味噌汁くらいのことで腹を立てたりと可愛げもある。味のある松平の演技力があってこそ成立する役柄である。

 北村有起哉の演じる聖人と永吉は仲が悪いが、納得の不和だ。豪放な面のある永吉と神経質な聖人では折り合うはずがない。北村も飛びきりうまい人なので、線の細い聖人を巧みに演じている。2人の不仲ぶりは安心して観ていられる。安定の確執である。

 北村の亡父は元文学座の名優・北村和夫さんだ。「おしん」(1983年度)では、おしん(田中裕子)の舅・田倉大五郎に扮した。今は息子の北村 が名優に成長し、初めてヒロインの父親役に扮している。朝ドラ60年余の歴史を感じさせる。

 橋本の結役も持ち味が生かされた適役に違いない。福岡県糸島で暮らす結のセリフは博多弁だが、橋本も博多育ちとあって、地でいけている。それもあってか、溌剌と演じているところがいい。

 母親・愛子役の麻生久美子(46)もまた演技巧者として知られる。ハギャレンで女王然としている真島瑠梨(みりちゃむ)が福岡・天神の交番に深夜徘徊で補導されると、愛子が忽然と現れ、婦人警官・河合紗香(兒玉遥)に向かって「すみません。うちの子と友達がご迷惑を掛けて」と鷹揚に言ってのけた。瑠梨と会ったこともないくせに彼女の身元引受人を買って出た(第10回)。

 愛子は融通が利く。頼りがいもある。一方で「こういう物わかりのいい母親がときに子供の非行を生むんだよな」とも思わせた。結の8歳年上の姉で元伝説のギャル・歩(仲里依紗)が育まれた環境との整合性を感じさせた。麻生の演技に奥深さがあるから想像力が掻き立てられた。

 序盤の出演陣の演技にはミスやエラーはない。となると、やはり序盤の低調の理由はストーリーとしか考えられない。結の周辺のストーリーも綺麗にまとまってはいるが、小さいのである。

 低血糖症で倒れてしまったハギャレンのスズリンこと田中鈴音(岡本夏美)を結が助けたり(第5回)、瑠梨の深夜徘徊の理由は両親のネグレクトだったり(第10回)するが、予定調和の範囲内である。良いほうに解釈すると、それぞれのエピソードが卑近で現実味があるのだが、凡庸な話が続くから引き込まれにくい。

 ちょっと不思議なのは平成元年(1989年)生まれの結たちにパラパラをやらせて、仲間をギャルにしたところ。物語は現時点で2004年であり、パラパラブームもギャルブームも峠を越している。

 ルーズソックスや「アムラー」などのギャル文化が全盛だったのは歩の世代なのだ。あえて廃れゆくギャル文化を追う少女たちをフィーチャーし、寂寥感を表そうとしているのだろうか。

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