「苦手な人は死んだことに」 うざい親も失恋相手も「勝手に生前葬する」という選択肢(古市憲寿)

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 残間里江子さんと、かれこれ10年以上続けている番組がある。BS-TBSの「Together~だれにも言えないこと~」だ。初期は世代を超えたトーク番組だったのが、途中からお悩み相談番組になった。

 TBS局内のカフェみたいな場所で撮影している。長寿番組の宿命か、もう会えなくなってしまったゲストも多い。病気ということもあるし、スキャンダルということもある。最近もちょっとした事件があり、スタッフが編集に追われていた。

 悩みというのは多種多様だ。だが自分では解決の糸口さえ見えない問題も、赤の他人だからあっさり解決できるということがある。他人はしょせん、他人。どんなに親身なふりをしても、本質的に他人に興味など持てない。そこがいいのだ。

 企業がコンサルに頼る理由も同じかもしれない。経営者や社員に任せる分析には、どうしても私情が入る。だがコンサルは会社が潰れても、社員に嫌われても困らない。それくらい突き放した態度でいられることが存在理由なのだろう。

 テレビや雑誌でも、お悩み相談企画はずっと人気。というわけで「Together」にも一定の需要があるらしい。BSなので800人くらいしか観てないのかと思ったら、「もっと視聴者がいます!」とスタッフに怒られてしまった(900人くらいか)。毎月第1土曜日の午後11時からの放送なのだが、高齢者はもう寝ていると思う。

 最新の10月5日放送回では、教育学者の齋藤孝さんが面白い回答をしていた。親との関係がうまくいっていない相談者に「生前葬」を提案したのだ。

 もちろん本人が主役の大規模な生前葬などではない。自分(子ども)の中で勝手に親を死んだことにするのだ。小さな仏具くらい買ってもいいが、なくてもいい。

 当然、勝手生前葬なので、親から連絡は来るが、「冥界からの声」くらいに思っておけばいい。仮に会うとしても、それはお盆に先祖が帰ってくるようなもの。一度、親を死んだものとして考えることで、「関係を修復したい」や「親に理解されたい」といった執着から自由になれるというのだ。

 さすが齋藤さんだと思った。これは親に限らず、さまざまな人間関係に応用可能だろう。例えば失恋相手。「もう一度やり直せるかな」と可能性の低い妄想をして時間を無駄にするくらいなら、生前葬をしてしまった方がいい。死んだと思えば、悲しいが諦めはつく。

 もしくは馬の合わない同僚や近所の人の生前葬をしてもいいだろう。会う機会があっても、幽霊だと思えば許そうという気持ちが働く。時に嫌いは興味の裏返し。嫌いといいながら、どこかで仲良くすることを期待しているパターンもある。

 勝手生前葬は、あらゆる人間関係における期待を絶つ。結果として、僕たちは新しい人生へ歩み出すことができる。断絶とは救いなのだ。『苦手な人は勝手に生前葬(仮題)』、執筆依頼は齋藤孝さんまで。お待ちしています。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2024年10月17日号掲載

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