「清原ジュニア」はプロ入りなるか 大スターの2世選手が歩んだ“茨の道” 長嶋一茂は「シーズン50本」を期待され、「通算18本」で現役を退いた

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 10月24日に開催されるプロ野球ドラフト会議では、NPB歴代5位の通算525本塁打を記録した清原和博氏(元西武など)の長男で、慶応大の4番打者・清原正吾が指名されるか注目される。過去に指名されたスター選手の2世を振り返ってみたい。【久保田龍雄/ライター】

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「初代ミスタータイガース」の次男

 まず1967年の第3回ドラフト会議では、2人の2世選手が指名された。一人は、“初代ミスタータイガース”藤村富美男の次男・藤村雅美。三田学園の4番打者として同年のセンバツに出場し、父と同じ三塁手と投手の“二刀流”で注目を集めた。

 ドラフトでは東京(ロッテの前身)が5位で指名したが、本人は「今はプロでやる自信がありません。日下(隆)監督の母校であり、兄(哲也)もいる法大に進学します。大学で自信さえつけば、プロでやってやろうという気持ちは持っています」(1967年11月10日付・神戸新聞)と進学を選んだ。

 法大では4年時に主将を務め、春秋連続で三塁手のベストナインに選ばれたが、71年のドラフトでは指名されず、社会人の鐘淵化学へ。75年の日本選手権で4番として優勝に貢献し、大阪ガス移籍後の81年の都市対抗では、10年連続出場の表彰を受けるなど、アマ球界の名選手として長く活躍した。99年から兄の母校・育英の監督を務め、春夏計3度の甲子園に出場、栗山巧(西武)をプロに送り出した。

「元祖ミスターホークス」の長男

 もう一人は、“元祖ミスターホークス”南海・鶴岡一人監督の長男・鶴岡泰(後に山本姓となる)。法大では3番レフトで主将も務め、1年後輩の田淵幸一(元阪神など)らとともに同年秋のリーグ優勝に貢献した。

 ドラフトでは父が監督を務める南海がドラフト12位で指名。藤江清志渉外部長は「監督の長男ということで交渉権を獲ったのではない。カーブ打ちがうまいし、力も十分あると思う」と縁故指名ではないことを強調した。

 だが、ドラフト前から「息子は獲ってくれるな」と球団側に要望していた鶴岡監督は「まだプロの力はない。社会人で2、3年修業したほうが本人のためにいい。今なら50円ぐらいの値打ちしかない」と猛反対。

 結局、息子は父の意向に従い、日本楽器に入社し、日拓観光移籍後もプレーを続けたが、2度とドラフトにかかることはなかった。

 その後、PL学園の監督になり、78年夏の甲子園で全国制覇。大阪産大高監督時代には今中慎二(元中日)を育て、後の大阪桐蔭の礎を築いた。

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