小中9年間“ずっと不登校”なのに東京藝大に合格…「東大でも良かった」 15歳の少年がゼロから作曲家を志した原動力とは
耳コピできない“教授”の音楽
私がYMOと坂本さんに出会ったのは、12歳になったかならないかくらい。入り口はYMOの代表曲のひとつ「ライディーン」でした。曲名は知らなくとも、誰もがどこかできっと一度は耳にしたことがあるはず。比較的シンプルなメロディを繰り返していく「ライディーン」は、メンバーの高橋さんによる作曲です。
きっかけは「ライディーン」でしたが、それ以上に私を惹きつけたのは坂本さんの作る曲でした。坂本さんの曲は、“ひと筋縄ではいかない”展開なのです。
普通のJポップというと、Aメロ→Bメロ→サビ→Aメロ→Bメロ→サビ……というように構造もわかりやすく、ハーモニーもそれほど難しくないことが多いのですが、坂本さんが作った曲「東風(トンプウ)」は、楽曲の展開やハーモニーが非常に複雑で、ちょっと“耳コピ”して弾いてみようと思っても、「この和音……何!?」という感じになり、すぐにはコピーができないのです。
何度も繰り返し聴いて、鍵盤で和音や旋律をコピーしているうちに、細部の作り込みやギミックの多さに少しずつ気づきました。そして、最初には、はっきりと見えなかった景色が見えるようになっていくと……どんどんとその深みにハマっていったのです。次第にYMOのアルバムを聴き漁るようになり、作曲した坂本さんにも憧れを抱くようになっていきます。
「坂本さんって、どんな人なんだろう……?」
調べてみると、坂本さんは6歳からピアノを習い始め、10歳で藝大作曲科の教授だった松本民之助さんに作曲を師事。高校時代にはクラシックだけでなくジャズやロックにも触れ、自ら演奏するようになったそうです。
高校を卒業した坂本さんが進んだのが、東京藝術大学音楽学部作曲科でした。それが藝大に行って作曲家になろうと決めた、もうひとつの大きな理由です。
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この記事の前編では、同じく『不登校クエスト』(飛鳥新社)の内容より、小・中学校の9年間1度も学校に行かなかった内田氏の“日常”や、「選択的不登校」に至るまでに遭遇したトラブルについて取り上げている。