小中9年間“ずっと不登校”なのに東京藝大に合格…「東大でも良かった」 15歳の少年がゼロから作曲家を志した原動力とは
「ファイナルファンタジー」に見た「プロフェッショナル」
音楽への興味の出発点は、「ゲーム」でした。小学校に行かないひとりの日々の中で、毎日何時間も没頭していたゲーム。その映像の背後に流れている音楽――BGMが好きでした。
中でも、私が一番魅かれたのが、「ファイナルファンタジーVI」。
作品の“顔”としても有名な「プレリュード」はもちろん、ゲーム後半で飛行船に乗った際に流れる「仲間を求めて」という曲が私は大好きで、この曲を聴くためだけにゲームを立ち上げて、テレビを付けっぱなしにして聴いているということもしばしばでした。
シナリオの展開に寄り添って作曲されたこの楽曲は、FFシリーズの中でも屈指の名曲として知られています。私のようなゲーム音楽ファンからすると、作曲者の植松伸夫さんは神様のような存在。「ドラゴンクエスト」シリーズを作曲した、すぎやまこういちさんと合わせてゲーム音楽の二大巨頭です。
ゲームをプレイすることによって音楽が自分と一体化していくという感覚は、まさに能動的であり“体験的”です。ゲームに詰め込まれた物語の力と、音楽の力との相乗効果による体験。私はそれに感動し夢中になりました。
植松さんの音楽の凄さは、そうした魅力的な音楽が、魅力的なだけでなく常に的確であるということ。その書き分ける力とエネルギーに、職業として作曲をしている音楽家の、“本物のプロ”の仕事を感じるのです。
私が音楽の道、作曲の道へ進みたいと思った大きな理由のひとつは、このゲーム音楽であったことは間違いありません。
すべての道は「YMO」「坂本龍一」に通ず
植松さんの楽曲だけでなく、植松さん自身、つまり“人”にも興味がわきました。
彼がどんな音楽から影響を受けているのか、音楽性のルーツを知りたくなったのです。ネットで検索して調べてみると、植松さんは“プログレ”(プログレッシブ・ロック)の影響を受けているとありました。
プログレとは、1960年代にイギリスを中心に登場したジャンルで「革新的」「前衛的」「実験的」なロックのことです。変拍子や複雑なフレーズなどを多用するような楽曲も多く、演奏には高い技術が要求されます。
中でも特に魅力的なのは、シンセサイザー(キーボード)の存在です。シンセサイザーは現在の多くの音楽シーンでは欠かすことのできない、音を電子的に合成、作成できる楽器(装置)ですが、プログレは、このシンセサイザーをはじめとするテクノロジーを積極的に楽曲制作や演奏に取り入れたジャンルでした。
そこから、私の興味が、このシンセサイザーが生み出す音楽にも広がって行くのは自然なことでした。そして、日本の音楽シーンをシンセサイザーという点でさかのぼっていくと、“YMO”は避けて通れない存在になってくるのです。
YMO――イエロー・マジック・オーケストラは1978年に細野晴臣さん、高橋幸宏さん、そして坂本龍一さんの3人によって結成された音楽グループです。シンセサイザーやサンプラーといった当時の最先端の技術に着目し、革新的な楽曲を次々に発表。わずか5年間の活動期間に、日本のポップミュージックを大きく変えてしまった伝説的存在です。
日本でシンセサイザーを最初に使い始めたのがYMOというわけではないですが、声を使ってロボットボイスのような音を作り出すヴォコーダーを使ったり、工事現場などの環境音をサンプリングし楽曲に組み込んだりと、大胆にテクノロジーを駆使したポップミュージックの先駆け的存在でした。
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