小中9年間“ずっと不登校”なのに東京藝大に合格…「東大でも良かった」 15歳の少年がゼロから作曲家を志した原動力とは

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 作曲家の内田拓海氏(26)は、6歳から15歳までの9年間、小・中学校に1日も行かなかったという経歴の持ち主である。東京藝術大学を志した15歳の時点では、ピアノすらちゃんと習ったことがなかったそう。「受けるのは東大でも良かった」と語る本人が、音楽の道に進もうとした背景には、「2人の作曲家」の存在があった――。

(前後編の後編)

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※この記事は、『不登校クエスト』(内田拓海著、飛鳥新社)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。

正しく諦めずノックし続ければ「最後は必ず勝てる」

 皆さん、きっとこう思ったと思います。

「9年間、ただの1日も学校に行ったことがなくて、教科書も開いたことすらなく、ピアノも習ったことがないヤツが、中3から急に“東大か藝大しか行かない”なんて、あまりにも無謀……夢物語どころか不可能でしょ」

「東大どころか、高校すらまともに通えないんじゃないの?」。そう思われても仕方ないかもしれません。でも私には、根拠のない自信があったのです。

「ほかの人ができることなら、自分にできないわけがない」「自分はまだ“正しいやり方”を知らないだけで、たいていの勉強ならできるはず」

 仮に入試の難易度がすごく高くても、ある程度の理解力と正しい指導と方法、そして本人の適切な努力が掛け合わさりさえすれば、たとえ東大だとしても、「1回でストレートで……とは言わないけれど、数回扉を“ノック”すれば十分に到達可能だ」という確信がありました。途中で諦めてしまわないかどうかのほうが問題で、諦めなかったら「私の勝ちだ」と思いました。

 実際、大学生になってから東大生の友達も何人かできたのですが、彼らと知り合って私の考え方は間違っていなかったと感じました。東大に受かった彼らの勉強の仕方は、個々人によって多少の違いはあるものの、基本的なところはやはり共通性がありました。共通性があるものであれば、誰にでも再現できるということです。

作曲家になろう

 この再現性は勉強だけではありません。「作曲も、ピアノも、藝大合格のために必要な勉強を、合格者と同じ方法で正しくやっていけば再現できるはず……!」。15歳になって大学に行くと決めた時に、東大と同じく真っ先に頭に浮かんだのは、藝大でした。東大と藝大。このふたつの大学で悩み始めることになります。

「東大を受けてもいい。でも自分が本当に将来やりたいことはなんだろう」

 というのも、大学受験の動機は“革命”を起こすためだったので、具体的にやりたいことまでは考えていなかったのです。そして、そのままだと動機としては弱過ぎると感じていました。そこから、自分の興味のあることについて考え続ける日々が始まりました。

 でも、パッと答えは出ません。数か月の間ぐるぐると悩み続ける中、ある日、ふとした時に、坂本龍一さんの「Merry Christmas Mr. Lawrence」を耳にしたのです。

 それまでにもこの曲は何回か聴いたことはありましたが、切ない雰囲気の美しい曲だなと思う以外、特に感想を抱いたことはありませんでした。でも、この時の自分には、それがまったく違うように感じられました。聴いている少しの間だけは不安を忘れられるような、“居場所”にいるような感覚になったのです。

「こんな風に音楽が作れるなら、自分もやってみたい」「それなら、徹底的に勉強するために藝大に行こう」

 初めて、自分の「好き」を深く認識した瞬間でした。ただ、私はこの時点でまだ、きちんと音楽を学んだことはありませんでした。バイオリンやギターなど、あくまでも趣味、遊びや興味の対象としては習ったり触ったりした経験はありましたが、入試対策として“本気”で学習したことはありません。

 藝大音楽学部の入試では、ほとんどの専攻でピアノの演奏が必須課題になっています。私が目指そうと考えた作曲科も例外ではないどころか、むしろほかの専攻よりも高い水準を求められます。でも、ピアノを習ったことは一度もなく、すべてゼロからのスタート。

「高校行くよ」にも驚いていた両親は、「音楽をやりたい」「藝大に行く」「作曲家になりたい」と急に言い出したことにも、とても驚いていました。

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