6歳で「小学校に行かない」と決めて何が起きたか 校長と教委がやって来て…両親の反応は
“ゲーム”“公園”“お絵描き”三昧の「毎日が夏休み」
「小学校に行かないで、毎日何をしていたの?」。そんな質問をよくいただきます。
普通に通学していた人からすると、不登校の子どもの一日はイメージがしづらいかもしれません。学校に行かない生活というのは、朝起きてから夜寝るまですべてが“自由時間”です。言ってみれば「毎日が夏休み」。
朝8時、9時くらいに起きたら朝ごはんを食べて、まずゲームをします。午前中のゲームは少しだけにして、その後は外に遊びに行きます。遊び場はいくらでもありました。近所の公園や駄菓子屋はほとんど毎日行く場所でした。
近所の同世代の子どもたちはみんな学校に行っているので、基本はいつもひとりです。自転車に乗って公園に行って、ぐるぐる歩き回ってみたり、キレイな形の石を拾いに行ったり。公園の帰りに駄菓子屋に寄ると、買い物に来ている近所の人に「あれ? 学校はどうしたの?」なんて、心配されたり、驚かれたりすることもありました。
寂しいと思ったことは一度もない
外から帰ってきて、昼ごはんを食べたら、本格的にゲームの時間が始まります。子どもの頃の私はとにかくゲームが好きで、時間さえあれば延々とやっていました。そのほとんどがRPGです。
「ファイナルファンタジーVI」や「クロノ・トリガー」といった超名作を毎日何時間も、時には晩ごはんも食べずに夢中になりやっていました。
それでも両親は、「ゲームばっかりしてないで!」と、私を咎めたことはほとんどありません。徹底して、「やりたいように生きる」ことを認めてくれました。世代的にはちょうど「遊☆戯☆王」や「ポケットモンスター」といったトレーディングカードゲームが流行していました。ゲーム好きの私としては、ちょっと興味はあったのですが、何せいつもひとりなので“対戦相手”がいません。
ですから私の楽しみ方は、カードを買って、並べて眺めること。よくよく見てみると、同じキャラクターでも色々な絵柄があったり、レアなカードにはホログラム加工がされていたりして、見ているだけでも面白かったのです。ちょっと寂しそうにも思えるかもしれませんが、私としては何をしていても「楽しい」という気持ちが上回っていて、寂しいと感じたことはありませんでした。やりたいことがたくさんあり過ぎて、毎日が日曜日でも足りないくらいでした。
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この記事の後編では、引き続き『不登校クエスト』(飛鳥新社)の内容より、不登校だった内田氏が音楽の道を志すようになる「きっかけ」となった、2人の著名な作曲家について取り上げる。