6歳で「小学校に行かない」と決めて何が起きたか 校長と教委がやって来て…両親の反応は

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教科書ももらえない

 話し合いはずっと平行線でした。「行かない」というわが家の方針に、学校側も納得できなかったのでしょう。とうとう、学校側が“キレて”しまいました。「それでは、1年間、本当に通わなかったら小学校から拓海君の“籍”を抜くことになりますが、それでもいいんですね?」。そう言って、教育委員会の担当者と校長先生は帰っていったそうです。

 彼らが言う“籍”とは、「学籍」のこと。学籍は、その学校や教育施設の児童、生徒であることを示すものです。子どもひとりひとりに小学校から大学、大学院まで教育施設ではかならず与えられるものです。そしてその記録は法令に基づいて“指導要録”という記録簿によって、必ず管理されることになっています。つまりとても大事なもので、本来は「籍を消す」ということはあり得ない事態です。

 実際、法令に触れる可能性があることだそうですが、それでも消し去ってしまうというのですから、学校側としては、本当に受け入れ難いことだったのだと思います。結果、私は本当にどこの学校にも籍がない児童、学校教育においては“存在しない子ども”になってしまいました。「そんなこと、平成の時代に起こるの?」と思う方もいるかもしれませんが、本当に起きたのです。

 記録上、そして事実上、私は小学校に入学も卒業もしていません。こうした表現が正しいのかはわかりませんが、一般的にイメージする不登校の子どもの場合、学校には通わなかったとしてもクラス分けされて、「1年3組です」といったお知らせが学校から来ます。全教科分の教科書や副教材も一式貰えます。

 でも私はそもそも籍がないので、それもありません。私個人としては自分で「行かない」と決めていたので、気にもなりませんでしたが、この“無学籍”問題は、後々面倒なことになってしまいます。

「学校へ行け」「勉強しろ」と言われたことは一度もない

 近所の人や親戚、周りからは「変わった子どもで大変だな」という目で見られていたかもしれません。母は亡くなった父方の祖父からも、厳しい言葉を投げかけられていたそうです。

 それでも、母や父から、「学校に行きなさい!」「勉強しなさい!」と一度でも言われた記憶はありません。「学校、行ってみない?」と聞かれたこともありませんし、それどころか、私を心配するそぶりもありませんでした。私の不登校や教育方針を巡って、両親がケンカしているところも見たことがありません。

 こう書くと、「教育に無関心な親」だと思う方もいるかもしれません。でも、教育的ネグレクトということではまったくなかった。「自分の好きなことをやりなさい」「自分のやりたいように生きなさい」。特に母は、それが子どもにとって大事なことだと考えていたのです。

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