中年男が女弟子の蒲団を嗅いで失恋の涙…ほぼ実話だった田山花袋の告白小説、モデル女性のその後にも影響した嫉妬心
ハナから分かり合えない2人
『蒲団』で大出世した花袋だったが、その後は、論壇から一定の評価を受けた『田舎教師』などを除いては、名作と呼ばれるような作品をついぞ残せなかった。『蒲団』を書いたころについては、晩年、雑誌で次のように自画自賛気味に回想している。
「私は机を並べて仕事をしてゐた人達からもじろじろといやに顔を見られたばかりでなく、ある人からはそれがために絶交状に近い手紙さへつきつけられた。つまりそれだけその時分の世間が、社会が、伝統的慣習に捉はれてゐたのである。さういふ形から見れば『蒲団』もさうした社会から今の自由な心持を持つた社会になつて来るための材料のひとつとして立派にその使命を果して来たものであるとは言へた」(「サンデー毎日」大正13年4月6日号)
ちなみに、美知代にフラれた花袋は、「次の恋」にも走っている。相手は、赤坂の梅奴という十代の芸者。こちらは昭和5(1930)年に花袋が死去するまで、約20年もの間、腐れ縁が続いた。
美知代は、昭和16(1941)年に帰国し、広島に隠居。戦後の昭和33(1958)年には、「婦人朝日」7月号に、こんなくだりがある回想手記を寄せた。
「実際師としての先生は厳格で立派で、殊には神様とも見る先生の胸に、変な情火が燃されて居た等、一切測り知る由もなかった。(略)純情な私達二人を欺き通した花袋先生が恨めしい。併し飽くまで恩は恩、怨みは怨み、私のこの怨みは恩師以外の、単なる花袋氏に対する怨みである事は、云ふまでもない」
もはや、「ハナから分かり合えない2人だった」としか言いようがない。
[4/4ページ]