「出会って、別れて、また付き合って……」 夫が死去「ピンクレディー」ケイちゃんが語っていた夫婦の絆
元ピンクレディーの「ケイちゃん」こと歌手で女優の増田惠子(67)の夫・桑木知二さんが8月21日に亡くなっていたことを所属事務所が発表した。70歳だった。2人が出会ったのは1983年のことだが、結婚したのは2002年6月、紆余曲折を経て結ばれた。
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増田が女性デュオのピンクレディーとして「ミーちゃん」こと根本美鶴代(未唯mie=66)と共にデビューしたのは1976年。デビュー曲「ペッパー警部」の累計売上は105万枚を記録した。ミニスカートから伸びた太ももをガニ股に開け閉めする振り付けは大人たちからは険しい目が向けられたが、小学生の女子はこぞってマネをし、男子の間では「どっちが好みか?」が話題となった。
続く「S・O・S」、翌77年の「カルメン'77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」も大ヒット。この年に解散発表したキャンディーズと入れ替わるようにして国民的なアイドルとして成長する。
ちなみに、サザンオールスターズの78年のデビュー曲「勝手にシンドバッド」のタイトルは、沢田研二の「勝手にしやがれ」と彼女たちの「渚のシンドバッド」を掛け合わせてつけたというのは有名な話だ。
78年には「UFO」で日本レコード大賞を受賞。続く「サウスポー」では、前年に巨人の王貞治選手が通算本塁打756号を放って世界一になったことから、王選手と左投げ女性投手との対決が描かれた。次々とヒット曲を放ったピンクレディーだが、当時の睡眠時間は1日に3時間とも1時間とも言われた。それが長続きするはずもなく、ピンクレディーは81年に解散する。
増田が桑木さんと出会ったのはその2年後ということになる。結婚直後、増田は週刊新潮の「結婚」欄で馴れ初めを話している。
一度別れた
《彼はサウンド・レコーディング・エンジニアで、18年前に一緒にお仕事したのが最初。初めから素敵な人だと思い、スタッフ皆でご飯を食べに行ったりするうちに、お付き合いすることになったのですが、1年くらいで別れてしまったんです。彼は本当に穏やかで落ち着いていて、誠実すぎるぐらい誠実な人。それが若い頃は、どこか物足りなく感じていたんですね》(「週刊新潮」02年7月11日号)
一度は交際したものの別れていたというのだ。それでも友達づきあいは続いていた。桑木さんの家族ともだ。
《彼の早くに亡くなったお姉さんが奇しくも私の本名と同じ啓子という名前で、お付き合いしてた時、啓ちゃんが帰ってきたと彼のお母様にそれはそれは可愛がっていただいたんです。別れた後、“どうしてうちの知二は駄目だったの”と訊かれて“だって恋してるって実感がないんだもん”と答えたら、“ケイちゃんはまだ若いから。そのうち良さがわかるわよ”と言われて、それがずっと頭に残っていました》(同)
ところが、桑木さんは別の女性と結婚してしまうのだ。
《私以外の人と結婚しないと思っていたので……大事なものをなくしたと思いました》(同)
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