歌謡曲好きの少年は、ビートルズ、フォークの洗礼を受け…「佐藤竹善」に警察官の夢を捨てさせた“運命の一枚”とは

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

初めて手にした楽器はベース

 演歌から洋楽へと興味が移っていたその頃、中学の同級生がフォークギターを始めた。「このバンドをやろうよ」と持ってきたレコードは3人組フォークグループ「NSP」のアルバム。初めてフォークソングやフォークグループの存在を意識し、かぐや姫や風をはじめ、その同級生にから借りたカセットであらゆるフォークを聴いた。2年生の夏に発売されたオフコースのシングル「秋の気配」にも衝撃を受けた。後に佐藤は小田和正の多くの作品にコーラスなどで参加することになるが、これが最初の小田との“出会い”だった。

 同時に洋楽への興味も抱き続けた。小学校のときに「キラー・クイーン」を聴いた縁から、クイーンのアルバム「世界に捧ぐ」を聴き、「伝説のチャンピオン」などの世界観に憧れた。ジョン・ディーコン好きが高じ、初めて買った楽器はベース。音楽誌の広告に出ていた「トーマス」のベースで、月1,500円の10回払いだった。店の若い店員は、佐藤らが店を訪れると、楽器を買う以前からコードや基本を教えてくれていた。さらに近所の人が引っ越す際、所持していた大量のレコードをくれた。その中には米国のハードロックバンド「グランド・ファンク・レイルロード」のアルバムなどがあり、どんどん洋楽にハマっていった。

「本当にいろんな音楽を、後追いで知ったんです。同級生の友達と一緒に、うちの車庫で練習をしていました。フォークギターとベースの組み合わせで、NSP、グランド・ファンク・レイルロード、かぐや姫、ベイ・シティ・ローラーズなどをひたすら。当時の青森は情報が少なかったので、ジャンルという概念もなかったんでしょうね」

 簡易な形ではあるが、初めてのレコーディングもした。中学2年時に同級生と二人で出演したフェスでも、グランド・ファンク・レイルロードやNSPらの曲を演奏した。ルーツがどこにあれ、いい音楽はいいという、今にも通ずる姿勢が出来上がっていった。

一時は警察官を目指すも

 進学した県立青森高校では軽音楽部に所属。だが、高校3年で音楽をピタリと辞めてしまう。大学の法学部に入り、将来は警察官になろうと考えていたためだ。

「大卒なら、警察学校には半年行けば済むという不純な動機でした。早く刑事になりたかった。『太陽にほえろ!』を見て憧れたからです(笑)」

 法学部を目指して勉強を続けていた頃、ビリー・ジョエルが世界的にヒットする前の曲を集めたライブアルバム「ソングズ・イン・ジ・アティック」が発売された。収録曲の「さよならハリウッド」をラジオで耳にし、母親にクリスマスプレゼントとしてこのアルバムをねだった。ビートルズのアルバムを初めて聴いた時と同じぐらいの衝撃を受け、翌朝までずっと繰り返して聴き倒した。

「翌朝には、もうプロのミュージシャンになろうと思っていましたね」

 警察官の夢はまだ引きずっていたが、法学部には無事合格。一緒にミュージシャンになろうと口説きにいったのが、同じ軽音楽部で、今もSLTでともに活動する藤田千章だった。

「藤田は僕と別のバンドで作詞作曲をしていました。その藤田を作詞メインにし、僕は曲を書いたこともないのに無理やり書いて『二人で作詞作曲のコンビになろう』と朝まで口説き倒したんです」

 朝方、朦朧とする藤田からOKが。SLT誕生の萌芽だった。

 ***

 あらゆるルーツから自分たちの好きな曲を書くスタートラインに立った佐藤。第2回【制作費2000万円を「僕らの音じゃない」でやり直し… 「SLT」佐藤竹善が語るバンドの原点と挑戦】では、SLTのデビューからの秘話を語っている。

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。