【山崎豊子さん生誕100年】で異色の作品「横堀川」が上映 「国民作家」となる前夜に描かれた“船場三部作”の魅力

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異色の映画が公開

 今年は、作家・山崎豊子さんの生誕100年にあたる(1924年生~2013年没、享年89)。

 大阪・船場の商家を舞台にした作品群からはじまり、やがて大学医学部や商社、銀行といった巨大組織に翻弄され、抗う人間の姿を徹底的に描いた。ほぼすべての作品が文庫化され、ロングセラーとなって現在も読まれつづけている。

 また、山崎作品は、多くが舞台化、TVドラマ化、映画化されており、エンタメ界にとっても救世主的な存在であった。

 そんな人気映画を5本集めた、《小説家・山崎豊子 華麗なる映画たち》と題する特集上映が、東京・千代田区の神保町シアターで開催されている(10月12日~11月1日)。上映作品は、「暖簾」(川島雄三監督、1958年)、「白い巨塔」(山本薩夫監督、1966年)、「華麗なる一族」(山本薩夫監督、1974年)、「不毛地帯」(山本薩夫監督、1976年)といった名作ばかり。ところが、よく見ると、そのほかにもう1本、見なれない作品が上映される。

「1966年の松竹作品、『横堀川』です。そんな題名の小説は、山崎豊子作品には、ありません」

 と、映画ジャーナリストが解説してくれた。

「実は、この映画は、NHKの連続TVドラマの映画化で、数多い山崎文学の映像化のなかでも珍しい、“異色作品”なのです。映画マニアや、むかしのTVドラマを知る世代は承知でしょうが、そう頻繁に名画座でかかる映画ではないので、意外と知らないひとも多いと思います」

 どのあたりが“異色作品”なのだろうか。映画ジャーナリスト氏に解説をつづけてもらおう。

船場パワーで実現した映像化

「山崎さんは、毎日新聞大阪本社学芸部の記者時代、1957(昭和32)年に、小説『暖簾』で作家デビューします。これは、ご自身の生家の老舗昆布屋〈小倉屋山本〉をモデルに、親子二代にわたる船場商人の生きざまを描いたものでした。つづいて翌年には、吉本興業の創業者・吉本せいをモデルにした『花のれん』を「中央公論」に連載。これが直木賞を受賞し、毎日新聞を退社して、作家として独立します。そして独立後の最初の大きな仕事が、週刊新潮連載の『ぼんち』でした」

 この通称“船場三部作”は、たてつづけに映画化されて人気となった。やがて1965年から、週刊サンデー毎日で、生涯の代表作ともなる「白い巨塔」を連載開始。大評判を呼び、山崎さんは“国民作家”となるのである。

「TVドラマの企画が立ち上がったのは、ちょうど、そのころでした。NHK大阪で、花菱アチャコと浪花千栄子主演の人気ラジオドラマ『お父さんはお人好し』をプロデュースした棚橋昭夫さんが企画したのです。すでに大映では、同社のスター、田宮二郎を主演にした『白い巨塔』の映画化も進んでいた。そこでNHKとしては、山崎さんの初期“船場三部作”――『暖簾』『花のれん』『ぼんち』を1本に合体し、1年間放映の連続ドラマとして、映画『白い巨塔』公開にぶつけるという、大河ドラマなみの大型企画をぶち上げたのです。しかも主演は、おしどり夫婦として人気だった日活の看板スター、長門裕之・南田洋子の起用に成功。山崎さんも、この案には大乗り気で、すぐにOKを出しています」

『暖簾』『花のれん』『ぼんち』は、すでに各々映画化されてヒットしていたので、その人気に乗じる狙いもあったようだ。その商売根性たるや、民放もかなわないどころか、これぞ“大阪商人”といいたくなるパワーである。

「タイトルは、船場を流れる東横堀川からとって、『横堀川』と名付けられました。実は西横堀川もあったのですが、数年前に埋め立てられており、東横堀川が、単なる“横堀川”と称されるようになっていました。この下流が道頓堀川で、あのグリコの看板の下を流れる運河につながります」

“三作合体”の離れ業に挑んだ脚本家は、大阪・船場育ちのベテラン、茂木草介(1910~1980)だった。

「茂木さんは、前年の1965年、大河ドラマ『太閤記』の脚本で大成功していました。新国劇の若手、緒形拳が信長を演じ、最高視聴率39.7%を記録しています。この脚本が、実にうまくできており、全国から“信長延命”の嘆願書が殺到。本能寺の変の回が、予定よりずっとあとに延びたとの伝説が生まれたほどです」

 要するに、ドラマ「横堀川」は、原作も制作者も脚本家も、生粋の大阪人。まさに船場パワーによって生まれたようなドラマだったのだ。

「ストーリーは、寄席経営をめぐる『花のれん』を中心に、老舗昆布屋の話『暖簾』の基本設定を加え、要所に『ぼんち』のテイストをちりばめたドラマで、細部は茂木さんの創作です」

 かくして、正式番組名「横堀川~山崎豊子作品集より」は、1966年4月にスタート。毎週月曜日夜9時40分から、1回50分の本格的な連続ドラマとして、翌年3月までほぼ1年間、全51回の放映となったのである。番頭ガマ口を演じた藤岡琢也が人気を確立し、脚本の茂木草介も多くの賞を受けて代表作となった。

 ちなみに、大ヒットする映画『白い巨塔』の封切り公開が、ドラマ放映の真っ最中、1966年10月。この年は、TVも映画も、山崎原作が席捲していたのである。

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