「あんなにきれいなバッティングされたらもう…」 江夏豊を“完全燃焼”させた伝説の選手「レジ―・ジャクソン」(小林信也)

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 MLBのポストシーズンが始まった。今年は大谷翔平のいるドジャースとヤンキースのワールドシリーズでの対決が期待されている。実現すれば1981年以来43年ぶりとなる。

 大谷にとっては、伝説への挑戦が始まる。大谷はすでに日本人選手として誰も想像しなかった領域に達している。数々の記録を達成し、毎日の話題に事欠かない。だが、歴史に名を刻む、アメリカ社会に強烈なインパクトを残すレジェンドとなるにはワールドシリーズでの活躍が不可欠だ。その意味で、今年のポストシーズンは何かが起こる可能性を秘めた重要な舞台だ。

 そう書きながら、はっきりと頭に浮かぶ伝説の選手がいる。「ミスター・オクトーバー(10月の男)」と呼ばれたレジー・ジャクソンだ。

 レジーはたった1試合の鮮烈な活躍で人々の胸の奥にざわめきを半世紀近く残し続けている。

 それは1977年ワールドシリーズ第6戦の出来事だった。ドジャースがニューヨークのブルックリンに本拠を置いた時代には「地下鉄シリーズ」、ロサンゼルスに移転後は「北米大陸横断シリーズ」と呼ばれる両チームの対決。

 ヤンキースの4番に座るレジーは、実は移籍1年目の外様選手だった。けんか屋と呼ばれた独裁的なビリー・マーチン監督ともしばしば衝突し、ニューヨークっ子から必ずしも愛されている存在ではなかった。だが、ヤンキースが3勝2敗でニューヨークに戻った第6戦、歴史は変わった。

3打席連続初球本塁打

 2対3とリードされた4回裏、ヒットで出塁したサーマン・マンソンを一塁に置いて打席に入ったレジーは、バート・フートンの初球を右翼3階席まで運ぶ逆転2ランを放った。続く5回裏、二死一塁からまたもエリアス・ソーサの初球をライナーで右翼へ打ち込み、7対3とリードを広げた。レジーのワンマンショーはさらに続いた。8回裏、ナックルボーラーのチャーリー・ハフが投じた初球のナックルをバックスクリーンに打ち込んだ。

 3打席連続の初球打ちホームラン。ヤンキース・ファンは15年ぶりのシリーズ制覇を確信し熱狂した。9回表、一塁ベンチから右翼守備につくレジーにスタンドから大歓声が送られた。背番号44、レジーも帽子を上げてこれに応えた。移籍1年目のレジーがすっかりヤンキースの顔になった瞬間だった。

 打率.450、5本塁打、8打点のレジーは2度目のシリーズMVPに輝いた。実は第5戦の最終打席でもホームランを打っている。2試合にかけ、四球を挟んで4打数連続のホームランだったのだ。

 日本の新聞(読売)でも「“3百万ドル猛打”で栄冠」の見出しで大きく報じられた。当時としては破格の「5年総額300万ドル」でヤンキースに入団し、日本野球界では考えられない巨額が話題になっていた。〈3発ジャクソン“不仲”忘れ〉の見出しでレジーを大喜びで迎えるマーチン監督の写真も添えられている。シーズン中からしばしば物議を醸したマーチン監督との不仲を皮肉った表現だ。

 レジーとマーチンはポストシーズンでも一触即発だった。プレーオフ最終戦、極度のスランプでレジーは先発メンバーを外された。代打でヒットを打ち、何とか信頼を回復しながら、第2戦の投手起用を批判するなど、火種はくすぶり続けた。そんなあつれきを越えての大活躍だった。

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