「男」で紅白初出場から35周年へ 「久宝留理子」紆余曲折の歌手人生とライブの裏側

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サイン求められ 「私って売れてるんだな」

「男」が収録されたアルバム「Vocallies」も、オリコンアルバムチャートでトップ10入りを果たした。自身の作品が発売されるたびにレコード店に行っていたが、これまでCDのタイトル部分しか見えない並べ方をされていたのに対し、ようやくジャケットが見える形で置かれるようになった。街中で声を掛けられるケースも増えた。1994年7月に発売し、その年の紅白で歌唱した「早くしてよ」が世に流れていた頃には、こんなことも……。

「当時は渋谷の近くに住み、自転車でよく出かけていました。まだスマホなどない時代なので写真を撮らせてほしいというのはなかったですが、サインをお願いされることはよくありましたね。一人にサインをすると、見ている人が近寄ってきて。気が付いたら大勢に囲まれる形になって。怖くなって、自転車を置いたまま走って逃げたことがあります」

 そんな出来事で「私って売れてるんだな」と感じた。同時にむやみに出歩かない方がいいとも思ったという。

「男」「早くしてよ」のヒットを受け、1994年には、大学の学園祭への出演オファーが相次いだ。できるだけ多くの学園祭に出られるようスケジュールを組んだ。

「今なら前乗りして観光とかもできますが、当時は、その日にどこにいるのかも分からないぐらい。ギリギリまで東京でレコーディングをして本番の朝に移動でした。スタッフさんが事前に調べて買ってきてくれた、おいしい物を楽屋で食べるのが楽しみでしたね」

電源がショートした北の地でのライブ

 全国の大小さまざまな会場でファンと交流してきた。印象深いのは、北海道オホーツク海沿岸の興部町で1990年代後半に行ったライブだという。町おこし企画として招かれ、前日に札幌市でのツアーをこなしてから移動日無しでステージに立った。1月のライブ当日の気温は零下20度まで下がっていた。

「『いつもは演歌のかたが多いけれど、今年は若者の意見を取り入れて久宝さんに』ということでした。ただ町の会場は公民館のようなところで、皆さん、靴を脱いでスリッパでした」

 極寒の中で運ばれてきた音楽用機材が、室内で結露していたことに気づかず電源を入れたため、ショートするというトラブルにも見舞われた。結果的に事なきを得たが、途中まで「アカペラでやるしかないかな」と考えていたという。

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