発売直前までまったく違う曲だった? 久宝留理子が語る“カメリアダイヤモンド”CMソング「男」誕生秘話

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盲腸を乗り越えてデビューライブ

 そして1990年3月21日、シングル「プラスチック・マン・ライフ」でデビューした。だがレコーディングでも大いに苦労した。マイクを握って歌うライブと違い、ヘッドホンをしたまま、スタジオのマイクに向かって距離感を保ちながら歌うことに、戸惑いを覚えた。 それまで歌っていた他人の曲と違い、オリジナル曲のために“お手本”がないことにも難しさを覚えた。スタートラインに立ったのに、模索する日々を送った。

「レコーディング中、(所属していた)エピックソニーの社長の丸山(茂雄)さんが来て、『久宝、そんな歌い方じゃダメだよ』と言って、サッと帰っていくんです。どうしたらいいのか分からなくて、ティッシュの箱が空になるぐらい悔し泣きして。レコーディングにならず、『今日は一旦帰ろう』とディレクターにいわれたこともありました」

 そんな苦労を乗り越えたデビューライブの開催は、東京・渋谷の「渋谷エッグマン」に決まった。ところがライブまで1週間を切った頃、腹部に痛みを覚え、病院で「盲腸」と診断された。スタッフが病院と話し、ライブまで何とか痛みを散らして対応することになった。

「すごい世界に私は飛び込んだと思いましたね。当時はまだそういう時代でした。痛い痛いと思いながらライブを終えたときは、水が溜まっていたようです。デビューから波乱万丈でした」

大ヒットの「男」は直前までアレンジの違う曲だった!

 その後もヒット曲にはなかなか恵まれなかった。毎日のように会議に臨み、あらゆる曲を歌い、楽曲スタッフを変えてレコーディング。デビュー前と変わらず、暗中模索を続けていた。

 デビューから3年半、1993年9月22日に発売された9枚目のシングル「男」が、シングルとして初めてオリコンチャート100位以内に入った。鮮烈な歌詞は、久宝自身によるもの。曲は伊秩弘将が手掛けた。当初は5枚目のアルバム「Vocallies」の1曲目として用意されたもので、異なるアレンジの曲だった。

「伊秩さんがアルバム用に書いてくださったものから、最初は『ライブでみんなで歌えたら』とピックアップした曲なんです。シングルで出すよりも、アルバムの1曲という感じ。当初はSHOGUNの大谷和夫さんのアレンジで、ブラスセクションが多めの、ややミディアムテンポでした」

 折しも、「カメリアダイヤモンド」のテレビCM制作チームが、“女性モデルがボクシンググローブをつけてサンドバッグを叩く映像”に合う曲を探していた。「男」を候補として届けたところ、反応が良く、15秒、30秒のCMに合わせるため、テンポを上げ、ギターサウンドを効かせてほしいとの注文があった。すでに全国の放送局には、白盤(宣伝用のサンプル盤)のカセットが配布されていたが、発売直前でギタリストの是永巧一による新たなアレンジに変えた。 準備期間もほぼなく、1週間あるかないかで仕上げた。名曲「男」が、多くの人の知る現在の形になった瞬間だった。

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 苦節3年半。大ヒット曲「男」であっという間に檜舞台にまで上がった久宝。第2回【「男」で紅白初出場から35周年へ 「久宝留理子」紆余曲折の歌手人生とライブの裏側】では、その大きな反響を受けた思いや、近年の活動について語っている。

デイリー新潮編集部

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