運気が落ちている時は「あせらず、じっくり、心を落ち着けて」 横尾忠則が考える“能の世界”の教え

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 日常的に、運がいいとか、悪いとかよく言いますが、僕は運についてあんまり考えたことがないように思います。運は何かの縁によってもたらされるようです。僕は運命や宿命に関しては時々考えますが、運に関してはむしろ無頓着のように思います。

 それにしても何かの危機にあったにもかかわらず災難にならなかった時は、運がよかったと思うことがありますが、サッと思うだけで次の瞬間、忘れてしまっています。いちいち運がいいとか悪いとか言っていたら、そのことで疲れてしまいます。

 でも過去の出来事で運らしいものが関与していて、良かったとか悪かったというようなことはあったかも知れません。最近読んだ本で『運』というタイトルの本があります。書評のために読んだ本なのですが、「驚安の殿堂」ドン・キホーテの創業者で、無一文から一代で二兆円規模の企業を作り上げ、稀に見る大成功経営者になった人の自伝です。この人の成功には運が随分作用したといいます。経営者だから如何にお金を儲(もうけ)るかというノウハウが語られていて、この人の生き方に従がえば大金持ちになるかも知れないという本で目下大ベストセラーらしいのです。

 この本では、運を引き寄せるとお金がザクザク入ってくる、という話をしているので、読者の多くはこの人にあやかりたい、つまり運を如何に自分に引き寄せるかということで売れているようです。

 僕はアーティストなので事業を起こして大金持ちになりたいとは考えません。思い通りの絵が描ければそれでいいのですが、そんな場合でも運が大きく関わっているのですかね。作品が大したことがないのに絵がどんどん売れるというようなことはないので、絵のよし悪しには運はあまり影響していないようにも思うのです。ある切掛けによって爆発的に評価されてマスコミの寵児(ちょうじ)になるというようなことはあるかも知れませんが、それを運のせいにするのはどうかなと思いますが。

 例えばこんな話があります。能の世阿弥が人間には男時(おどき)、女時(めどき)というのがあって、勢いがついている時は男時、少し低迷してエネルギーが落ちている時は女時で、こういう時はいくらあせっても運気が上昇しない。だけど男時は何もかもが充実していてやることなすこと何んでも上手くいく。そんな時はイケイケドンドンでやれば大成功すると言っています。これは能の世界で、やはり芸術に脂が乗っている時です。

 ところが人は運気が落ちている時に限って、あせってますますエネルギーを消耗させてしまいます。一方、運を手元に引き寄せて好運の波に乗る能楽師は、勢いのある時期に驚ろくほど成長して芸術を向上させるというのです。こんな風にいちいち考えて行動しているわけではないけれど、なんとなく僕も世阿弥のやり方を自然にやっているような気がしています。男時には意識して行動した方が、予想以上の成果を上げるのかも知れません。

 では落ち込んでいる女時は何をすればいいのかというと、何もあせらずに、じっくり、心を落つけて、この際休息でもして、好きなこと、例えば旅にでるとか、映画演劇を鑑賞するとか、読書でもしてじっくり勉強をするとか、また街へでて買物をして少々の浪費もしてみる。このようにして、男時のチャンスがやってくるまで、ジッとがまんして、待機する。すると男時がやってきた時に休息した間のエネルギーが一気に爆発したようにでるというのです。

 つまり、不運だと思っている人は男時のチャンスを活用しないで、女時の状態の時にあせってしまうから、男時女時がちぐはぐになっていつまで経っても運に見離されてしまっているというわけです。

 誰の中にも、どんな人にもこの男時と女時が存在していて交互に両者がめぐってくるのです。もう一度言いますと不運だと思っている人は女時の時に最悪だと思ってあせりまくる人で、せっかくのチャンス到来の男時を感じとることができません。運、不運は僕はこのような法則というかメカニズムによってできていると思うのです。

 全ての人に運、不運は平等にあるのです。そのことをちゃんと認識していれば、余計なエネルギーを浪費してくたばってしまうこともありません。労働と休息が人間の人生に常にかわるがわるやってくるということを認識してキモに銘じ、働らく時と遊ぶ時を上手に区別すればいいんじゃないでしょうか。

 例えば病気になった時は女時だと思って十分養生をすればいいのです。そして男時がくると同時に快復します。しかし、大半の人がこの男時と女時を勘違いして反対のことをやっているように思います。

 今、あなたはどちらの時ですか? それをじっくり考えて認識して、男時、女時に従がってみてはどうでしょうか。ただ、水を差すようなことを言いますが、僕は運を操作するのは、どうも遺伝子のような気もするのです。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年10月10日号掲載

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