「映画現場の生き字引」白鳥あかねさん スクリプターの役割を超えて遺したもの【追悼】

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スクリプター以上の“役割”

 71年、日活は経営危機を打開するためロマンポルノの製作に転じる。

「従来の4分の1ほどに抑えられた予算と実質7日程度の撮影日数のもと、10分に1回着衣なしの出演者を登場させる条件。それさえ守れば題材も表現も自由という環境に白鳥さんは懸けた。日活に残った人たちには、これで生きていくしかないという覚悟と連帯感があった」(北川さん)

 スクリプター以上の役割を果たす。女優の片桐夕子がいざ撮影で泣き出してしまうと、横について何時間も説得、ラブシーン演出も手伝って「殺陣師(たてし)」ならぬ「横師」と呼ばれた。傑作と名高い「恋人たちは濡れた」など神代(くましろ)辰巳監督と組む機会が多かったが、小沼勝監督や曽根中生監督に請われて脚本を書いたこともある。女の自立や芯の強さをさりげなく織り込んだ。

 女優の風祭ゆきさんは振り返る。

「監督と私たちの間に立ち気を使って下さる姐御肌の存在でした。男性が多い現場で、役に集中できる雰囲気を自然に作ってくれました。一緒に仕事をしていない時も、すれ違うと気軽に声をかけてくれて心強かった。舞台をわざわざ観に来て下さったこともあります」

「映画現場の生き字引」

 日活の映画監督、白鳥信一さんと57年に結婚。1男1女を授かっている。

 80年にフリーになるが、仕事の依頼は途絶えない。

「日活の黄金期とロマンポルノ人気の双方を知る、映画現場の生き字引。特にテレビドラマ出身の映画監督や若い世代の監督にとってスクリプターを超えた得難い存在でした」(北川さん)

 2004年までスクリプターを続け、その後も10年まで映画の脚本を担当し、脇役で出演もした。

 9月14日、肺がんのため92歳で逝去。

 14年、勧められて『スクリプターはストリッパーではありません』を著した。ユニークな書名の由来は、スクリプターの師である秋山みよさんが、彼女をたしなめて発した言葉だ。ロマンポルノの撮影に協力してくれたストリッパーを招いた宴席で、感謝の意を込めて白鳥さんは上半身の服を脱いで踊り、喝采を浴びたのだ。まさしく“映画はチームで作るもの”を信条とした人らしい逸話である。

週刊新潮 2024年10月10日号掲載

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