「カメラマン暴行」もあった三原じゅん子 「顔はやばいよ」大臣版「ザ・ノンフィクション」

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 論功行賞だと評される石破内閣の中で、知名度の点ではトップクラスを誇るのが三原じゅん子・こども政策担当相(60)である。もっとも、彼女がなぜそんなに有名なのか、またどこかすごみを感じさせる空気を漂わせているのはなぜか、昭和生まれ以外は知らないかもしれない。逆に、昭和生まれの多くは、連想ゲームで「金八先生」「セクシー・ナイト」「顔はやばいよ、ボディーをやんな」とキーワードを並べただけで「三原じゅん子!」と正解を口にできるのではないだろうか。

 その人生は、山あり谷ありで、これまた昭和世代ならば「ドキュメント 女ののど自慢」を想起するドラマチックなものだ。現代ならばフジテレビ「ザ・ノンフィクション」に出てきそうな人生、と言えば通じるだろうか。

 大臣就任を記念して、三原大臣の波瀾(はらん)万丈の人生を振り返ってみよう。(2020年09月21日配信記事をもとに再構成しました)

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〈昭和39年9月13日、私は東京都板橋区にある都立豊島病院で生まれました。赤ちゃんの時の私って、とにかく小っちゃかったそうなの。顔も小っちゃくて、とても可愛かったんですって。〉(註:以下、引用に関しては改行を省略)

 とは、1980年に出版された三原の処女作「片恋いのラブレター あなたに伝えたい」(KKベストセラーズ)の本文冒頭である。この前年、「3年B組金八先生」(TBS)の第1シリーズに、山田麗子役で出演したのが彼女だった。茶髪の聖子ちゃんカット、ロングスカートの制服に腕まくり、というツッパリを演じて人気者に。リンチシーンにおける「顔はやばいよ、ボディーをやんな、ボディーを!」のセリフは、今でも語り草となっている。その後、アイドルとなっても、ツッパリ路線を貫いていく。

 だから、この著書も他のアイドル本とはちょっと様子が異なる。小学校時代は〈人見知りな女の子〉である反面、〈とにかく喧嘩っ早い女の子で有名〉だったそうで、その暴れん坊ぶりときたら〈小学校4年になった時には、女の子では私に逆らう子は1人もいなくなったほどです。私がみんなを従えて、1日1人の割で男の子を殴って泣かしてた〉という。小学生のときから山田麗子だったのだ。

 その後、私立中学へ入学したが、芸能活動が認められていなかったために区立中学へ。

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