東京の人が「地域」とくくっている場所の内実は“多様で豊か” 古市憲寿が発見した「岐阜」

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 友人は新幹線で岐阜羽島を通り過ぎる時、こんなことを考えるのだという。「好きな人となら、この街で小さな商売を営みながら、楽しく暮らせるのかしら」と。その人は六本木暮らし。ずっと都会で生きてきたセレブだ。絶対に岐阜羽島では暮らせないと思う。

 先の言葉を思い出しながら、僕は新幹線の駅を降りた。エンジン03という文化人イベントが岐阜であるのだ。確かに岐阜羽島の駅周辺は、開業から60年がたった今でも栄えているとはいえない。だから岐阜市内にも大した期待はしていなかった。だが街に近付くにつれ、雰囲気は変わってくる。

 隈研吾さんが関わった真新しい県庁舎、図書館やホールが入居するぎふメディアコスモス、広場で開催されているマルシェなど、どれも非常におしゃれなのだ。

 もちろん古くからの建物もあるが、それはそれで特性を生かしている。岐阜グランドホテルは、昭和レトロファンにはたまらない雰囲気。正直僕は外資系のいけすかないホテルに泊まるのが好きなのだが、グランドホテルは悪くなかった(偉そうですね)。

 他にも蔵を改装したレストランがあったり、鵜(う)飼いの時期の週末には、長良川沿いに夜市が開かれたりする。

 昭和の観光開発といえば、大型リゾートホテルを建てたり、自然に負荷をかけるものが多かった。だが最近のトレンドでは、既存の資源に新たな光を当て、付加価値を出すのがいいとされる。岐阜県内でいえば、飛驒高山や白川郷は外国人観光客にも大人気である。

 幸いにもエンジン03は盛況だったのだが、その翌週も僕は岐阜にいた。関市で講演会の仕事があったのだ。なぜか観客席には安倍昭恵さんの姿。美濃加茂市の藤井浩人市長と一緒に、わざわざ講演を見に来てくれたのだ(ちなみに昭恵さん自ら来たいと言ってくれたはずなのだが、当日は「何で私って岐阜に来ることになったんだっけ」とぼやいていた)。

 講演後は、鵜飼いを屋形船から観る。サッカー元日本代表の柏木陽介さんが船頭を務めていた。全くスポーツを知らない僕にも嫌な顔一つせず、鵜飼いについて教えてくれる。

 昔のことを掘り返すようで何だが、柏木さんが浦和レッズを去ることになったきっかけは、コロナ時代の「規律違反」。ただ家族以外と外食をしたことが罪になるなんて、やはりあの時代は異常だったと思う。しかも本当にその「規律」が感染対策に意味があったのかは、いまだに検証さえされていないのだ。有事の際に、何でもかんでも右へ倣えになるこの国は怖い。

 翌朝は平工(ひらく)顕太郎さんと一緒に木造和船に乗り込み、天然鮎を手投網漁で採る様子を見せてもらう。65歳以下の専業漁師は平工さん一人だが、さまざまな方策を考えて事業を広げている。

 東京の人はつい「地域」とくくってしまうがその内実は多様で豊かである。冒頭の友人も、好きな人と一緒でなくても、岐阜でなら暮らせるのではないか。僕はたまに行くくらいで。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2024年10月10日号掲載

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