池田小事件「宅間守の遺体」と一夜を過ごした妻

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 幼い子どもを狙った非道な犯行は絶えない。最近では、中国で日本人学校の小学生男児が刺殺されたばかりである。そもそも犯罪者の多くは卑劣なのだから、彼らが弱い者を狙うのは必然だともいえる。

 犠牲者の人数だけで測ることはできないとはいえ、戦後の日本で子どもを狙った犯罪の中でも最悪の事件が、2001年に発生した大阪教育大附属池田小児童殺傷事件だろう。

 この事件では児童8名が命を落とし、15人の児童や教職員が重軽傷を負った。逮捕後、犯人の宅間守は動機について「エリート校のインテリの子をたくさん殺せば死刑になると思った」と語っていたという。

 公判でも改悛の情を見せることは一切なく、死刑判決は一審で確定。執行もそれから1年後という異例の早さだった。そのため、この秋で死刑執行からちょうど20年が経過したことになる。あっという間に判決が出て、刑が執行されたことは悪いことではないものの、一方で事件についての報道を減らし、結果として風化を加速させたのかもしれない。ことさらに現場のディテールを再現する必要はないだろうが、決して忘れてはならない事件なのは間違いない。

 ここでご紹介するのは、宅間守の死刑執行直後の知られざるエピソードである。

(「週刊新潮」2004年9月30日号より。年齢などは当時のもの)

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遺体として「出所」した宅間守

 大阪のあるキリスト教系の施設。ひつぎに入れられた男の顔には、うっすらと死に化粧が施され、苦悶の色はなかった。

 ここで宅間守(40)は妻の由紀子さん(33)=仮名=や死刑廃止運動に取り組んでいる団体の関係者らに見守られ、永別の言葉を送られていた。何の理由もなく突然、8人の小学生の命を奪い、15人の児童や教職員らに重軽傷を負わせた怪物は、神の慈悲があふれる場所で「お別れ会」を開いてもらっていたのである。

 参列者が帰った後、妻は一人で、棺桶に入った宅間と一夜を過ごした。その後も、彼女は自宅マンションに一度も戻らず、遺体につきっきりでいたという。こうして16日に火葬し、骨を拾うまでの間、夫の亡きがらと一緒の時間を送ったのである。

 14日、死刑確定から1年弱でスピード執行された宅間。通常、死刑囚の遺体は拘置所によって荼毘(だび)に付され、家族には遺骨のみが渡されるケースが大半だ。ただ、遺族が希望すれば、拘置所は遺体の状態で家族に引き渡す。しかし95年以降、35人が処刑されていたが、家族が遺体を引き取ったケースはそれまでわずか2件しかなかった。今回は由紀子さんのたっての願いで、大阪拘置所は遺体のまま宅間を彼女に引き渡したのだ。

「実は、生前の大阪拘置所の面会で、宅間が遺骨の形ではなく、遺体での引き取りを希望し、奥さんに伝えていたんです。“骨になる前にシャバに出してほしい”ということです。言われるまでもなく、彼女もそうするつもりでいたので、こういう形になった」(知人)

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