「元々、政治家に向いていない」「中学時代に友達が離れていった過去」 元石破派が明かす、「石破首相に仲間ができない理由」

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「永田町の常識を学んでいない」

「5度目の正直」でついに自民党総裁選に勝利し、頂点まで上り詰めた石破茂新首相(67)。鳥取県知事の息子として幼少期を過ごし、田中角栄元首相の薫陶を受けて政界入り。永田町で嫌われ、立ち上げた派閥が瓦解しても挑戦を諦めなかった「政治家・石破茂」の全て。【前後編の後編】

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 前編【「親離れができていない」「たくさん助けたけど一方通行」 石破首相の「決定的な欠陥」を恩人らが指摘】では、石破首相を長く見てきた人物だからこそ分かる、彼の欠点について報じた。

 1997年3月に自民党に復党した石破氏は2002年、小泉純一郎政権下で防衛庁長官として初入閣。政策通として頭角を現す一方、「人付き合いが悪い」「子分の面倒を見ない」といった評が付きまとった。

「彼が友達を作らないとか、マイペースだというのは、政治家としての来歴に原因があります。彼は親父さんが亡くなってから急に政界入りすることになったので、永田町の常識を学んでいないのです」

 ジャーナリストの鈴木哲夫氏はそう語る。

「中学時代に友達が離れていった経験が」

「あとは本人の性格だと思います。彼は人と群れたりするより、やっぱり正論をきっちりとぶつけるタイプなのです。さかのぼれば中学2年の時、生活委員、いわゆる風紀委員をやることになった彼は、“生徒会規則第何条によればあなたの行為は許されない”などとビシバシやってどんどん友達が離れていったらしい。いくら嫌われてもちゃんと注意するのが筋、というのが彼の考え方なのです」

 09年7月、当時の麻生太郎首相に退陣を迫った件により、今も麻生元首相との間の遺恨は癒えていない。また、「安倍一強時代」にもさまざまな問題に堂々と苦言を呈し、「後ろから鉄砲を撃っている」と揶揄された。そうした行動様式の萌芽は、すでに中学時代に見られていたわけだ。

「政策面でも、永田町ではある程度議論をしたら集約する。しかし石破さんは議論の中で論理的に煮詰まっていないところがあると許せないので徹底的に追及する。だから余計に永田町で面倒くさがられるわけです。しかし、永田町の論理に染まってこなかったからこそ、彼は常に世論を感じることができたのだと思います」(同)

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