62歳夫が“還暦を過ぎて子供を認知”するまで 夫婦のすれちがいは次女の「しつけ」をめぐって始まった
きみのもつ「正義」とは違う視点で…
子どもたちを分断させてもいけないと、栄介さんは子どもたちを画一的に育てないでほしいと必死に妻に訴えた。きみのもつ「正義」とは違う視点で子どもたちを見ろと、そういう育児書も手渡した。
「末っ子が学校に入るくらいまで、そんな攻防が続きました。本当は妻にも働いてもらって子どもたちは保育園に預けたかったけど、妻はひとりで育てると聞かなかった。だから全員が学校に上がったときはホッとしました」
子どもたちの性格もよりはっきりとしてきた。慎重で由佳里さんに似て生真面目な長女、跳ねっ返りでおもしろい次女、そして甘えん坊でのんびり屋の長男。それぞれに楽しみだと栄介さんは感じていた。
「家に帰ると、3人がいっせいに『パパ、今日は学校でね』としゃべり出す。父親になった醍醐味でしたね。僕のオヤジにはこういう楽しみはなかったんだろうなと思いながら、僕は子どもと同じ目線で楽しんでいた」
そして出会ったのが…
だが40代になっていた栄介さんは、仕事でも多忙になっていった。帰宅すると子どもはもう寝ている。少し時間ができた妻は、栄介さんの帰宅を待って近所の人やママ友の愚痴をこぼす。
「そうなると僕は仕事帰りに一杯やってから帰ろうということになる。週に2、3回は妻が寝てから帰宅していました。週末は子どもたちと過ごすようにはしていましたが、平日、妻の愚痴を聞くのはつらすぎた」
行きつけのバーや飲み屋が増えていった。そんな一軒で知り合ったのが、紗良さんだった。彼女は店のアルバイトだったが、如才なく客をもてなしていた。ときには父親より年上の酔客をうまく言いくるめて帰してしまうなど、臨機応変な接客には目をみはるものがあった。
「年齢を聞いたら25歳だという。当時、僕は43歳くらいだった。でも僕は彼女の仕事ぶりに敬意を抱きました。そして敬意を抱いた自分がちょっとうれしかった。年齢や性別に関係なく、敬意というのは自然と湧き上がるものなんだなと思って。ただ、敬意が恋愛感情につながるとは思っていなかった。そこが誤算ですね」
彼の自己分析が興味深い。恋愛感情というものは、ひとくくりには語れない。相手を憐れむことに端を発する場合もあるだろうし、敬意が進化していくこともある。友情からの恋愛も、苛立ちからの恋愛感情もあるかもしれない。惹かれる原因や瞬間は、自分でも予想できないのではないだろうか。
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【後編】にて、栄介さんが62歳にして「子どもを認知」するに至った経緯について、詳しく紹介する。
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