都会人はなぜいつも「アポ」に追われているのか 「アジがたくさん釣れたけん、今から家行ってよか?」で済む地方の気楽さ

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苦痛でしかなかった

 突然だが、今の私にはアポがない。

 これが実に快適なのだ。と言って、一体何のことやらと思うかもしれないが、人生におけるストレスのかなりの割合は「アポ」にあるのではなかろうか、と思っている。何しろアポというものは、「その時間、必ずその場にいなくてはならない」というものなのだから。

 毎日毎日何かしらアポが入り、アポに追われる日々を忙しくお過ごしの貴兄におかれては、「そんなの社会人だったら当たり前でしょ~」と道徳の講義的なことを言いたいかもしれない。が、アポはとにかく苦痛である。実はこの社会にはそう考える人間は一定割合は存在し、何を隠そう私はその一人である。「電話が怖い」と考える若者が昨今増えているそうだが、それと同じように、私は「アポが怖い」のだ。

 何しろ、その時が来たらその場所へ行かなくてはならないのだ。社会人たるもの、当たり前の話ではあるものの、正直、他人に合わせ、自分の時間を犠牲にする人生を延々と続けるのはどこかでやめた方が自分は幸せになれるのではなかろうか。

 現在51歳の私だが、40代まではアポはキチンと守ったし、遅刻もしなかった。その程度でドヤ顔するんじゃねーよ、と思うだろうが、当時から実際アポは大変苦痛だったのだ。その日に限って雨が降っていたり、電車が止まっていたり。アポのタイミングで頭痛がくるという、妙な習慣までついてしまっていた。

唐津では誘いはいつも突然に

 そんなアポライフがいよいよ苦痛になってきた2020年、47歳の時に「セミリタイア」宣言をし、東京から佐賀県唐津市に移った。とはいえ現在も、もちろん日々の原稿締め切りはある。だが、これはその日時に自分の作業により間に合わせればいいだけなので、個人プレイであるからストレスはない。

 それ以外では、2週間に1回のリモート会議はあるが、この程度だったら問題ない。さらに、1~2ヶ月に1回、テレビ出演のために上京するが、これも久々の東京ということで娯楽の延長線上にある。

 そして、今、「アポなし人生」を送っていて気が付いたことがある。それは、都会の人々がいかにアポを神聖視しているか、ということである。何しろアポについてウザいことを言い過ぎるのである。今、アポなし生活を送る身からすると彼らは単に「忙しぶるバカ」としか思えないのだ。

 とにかく唐津ではアポがない。日々の飲み会やらレジャーの誘いも、あらかじめ予約されているのではなく、大抵、唐突なのだ。「中川さん、今日、伊万里でイノシシば解体するとばってん、行けますか?」「中川さん、明日、潮が良い感じなのでイカ釣り行かんですか?」といった感じなのである。

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