さらば!オリックス「T-岡田」 ドーム中のファンが総立ち!浪速のファンに愛された男が放った“劇弾”を振り返る

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22歳で本塁打王に

 ローズと岡田に才能を見いだされたT-岡田は、2010年に33本を放って、初の本塁打王に輝いた。当時、22歳での本塁打王は、1962年の巨人・王貞治以来。パ・リーグに限れば1957年の南海・野村克也以来の快挙だった。

 これから、どれだけ打つんだろう―。

 そんな夢と期待を、この男に託したものだった。しかし、その後は伸び悩んだ感が拭えないのも、また事実だ。タイトル奪取後、30本の大台に乗ったのは、2017年の31本塁打のみ。19年での通算本塁打は204本と“主砲デビュー”が華々しかっただけに、トータルとしては、何とも物足りない数字に映ってしまう。

 しかし、この男の本塁打には、常に“華”があった。その半分以上、恐らく4分の3くらいは、記者席からその豪快なアーチを見て来たと思う。

 その中で、私が印象に残っている3本がある。

「走らんでええとこで出す。ホームラン、打ってこい」

 1本目は2010年9月16日、神戸・スカイマークスタジアム(当時)。本塁打王を決定づける33本目は、西武のアレックス・グラマンから放ったプロ初の満塁弾だった。

 左太ももを肉離れしていたT-岡田をスタメンから外した岡田監督は「走らんでええとこで出す。ホームラン、打ってこい」と8回2死満塁、敬遠もない場面で代打に指名した。

 すると、バックスクリーン左へ運ぶ、T-岡田自身も「完璧でした」と振り返った超特大弾を放った。その瞬間、指揮官がベンチを飛び出し、笑顔とともに両手で万歳したそのシーンは、実に劇的でもあった。

一打にしてあれだけの歓声が沸き起こった場面は類を見ない

 2本目は2014年10月12日、京セラドーム大阪。

 シーズン2位に終わったオリックスは、3位・日本ハムとのクライマックスシリーズ・ファーストステージで、その2戦目に挑んでいた。

 初戦を落とし、負ければ後のないこの試合も、1点ビハインドで8回を迎えていた。ここで負ければ、シーズンの戦いが終わってしまう。

 チームの運命をかけた、T-岡田の打席だった。

 カウント3ボール1ストライクからの5球目。日本ハム・谷元圭介の投じた147キロストレートを完璧に捉えた一撃は、右中間スタンドへとまっしぐらに飛んで行った。

 土壇場で飛び出した3ランは、京セラドーム大阪の歓声を独り占めにした。右手を突き上げたT-岡田に呼応するかのごとく、ドーム中のファンが総立ちになった。

 続く第3戦は台風接近の影響で、ドームでの試合でありながら、異例の「中止・順延」となった。T-岡田の3ランでついたはずの勢いが途切れたオリックスは第3戦に敗れ、ファーストステージでの敗退が決まってしまった。

 とはいえ、あの逆転弾の“衝撃度”は、今も薄れない。

 あれは、凄かった。京セラドーム大阪で、一打にしてあれだけの歓声が沸き起こったことは、オリックスの試合を長く見続けてきた私が「ない」と断言できる。

 ***

 この記事の後編では、引き続きT-岡田の「印象に残るホームラン3本」の、残り1本をお伝えするとともに、T-岡田のファンへの姿勢が球団にもたらした“ある変化”について取り上げる。

喜瀬雅則(きせ・まさのり)
1967年、神戸市生まれ。スポーツライター。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当として阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の各担当を歴任。産経夕刊連載「独立リーグの現状 その明暗を探る」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。産経新聞社退社後の2017年8月からは、業務委託契約を結ぶ西日本新聞社を中心にプロ野球界の取材を続けている。著書に「牛を飼う球団」(小学館)、「不登校からメジャーへ」(光文社新書)、「稼ぐ!プロ野球」(PHPビジネス新書)、「ホークス3軍はなぜ成功したのか」、「オリックスはなぜ優勝できたのか 苦闘と変革の25年」、「阪神タイガースはなんで優勝でけへんのや?」、「中日ドラゴンズが優勝できなくても愛される理由」(以上いずれも光文社新書)

デイリー新潮編集部

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