アントニオ猪木vsマサ斎藤「巌流島決戦」は「無観客試合」ではなかった! 「船頭さんに頼んで船を出してもらって……」プロレス史に残る名勝負の全舞台裏

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島に上陸していた猪木ファン

 試合前日の10月3日、新日本のリングスタッフとテレビ朝日、系列の山口放送の社員がチャーター船で巌流島へ。リングや放送機材など計4トンを運び、撮影準備を整えた。そして決戦当日の4日、朝6時半に新日本プロレス陣と、報道関係者がチャーター船で島に向かった。港から巌流島までは10分程度で着くが、時間が早朝になったのは、猪木が「当日は日の出とともに戦い始めたい」と破天荒なことを言い出したからだった。猪木と斎藤はそれぞれ別のチャーター船で巌流島に向かうことになっていたが、猪木の発言を受けて前日から島に泊まり込む報道関係者もいた。携帯電話のなかった時代ゆえ、トランシーバーで内地と連絡を取り合った。報道関係者には、全員「巌流島 新日本プロレス」と赤字で刺繍された白い帽子、いわば取材パスが渡されていた。

 だが、島に着いてみて、新日本サイドは驚く。帽子を被ってない、見ず知らずの若者たちが40人以上、既に島に着いていたのだ。

 それは、熱烈な猪木ファンたちだった。

 この時、巌流島に上陸していた九州出身の若者に、話を聞いたことがある。決戦時は中学3年生の15歳だったという。この日(10月4日)は、日曜日だった。

「当時は、船頭さんに頼んで、船を随時出してもらう形でした(※現在の巌流島には定期運航船がある)。乗船料は確か1人1000円でしたね。最少催行人数みたいのはわからないですけど、仲間うちでお金を出しあって渡ったんです。早朝? それはもう、猪木さんが日の出と共に試合すると言っていたから……。行ってみたら、泊まりがけの人も10人以上はいましたよ」

 実際は猪木が島にやって来るのが午後2時20分で、斎藤が来たのは午後4時であり、試合開始は午後4時半からとなった。「日の出と共に」とは言ったものの、プロレス専門マスコミは、猪木のアジテーションに慣れているのか、それまで昼寝をしたり、野球や釣りをやって楽しんでいた。

 しかし、新日本のスタッフは大変だった。ファンを追い出さなければいけなかったのである。先ず、島の北東に設置されたリングの周囲、150m×50mに規制線を貼り、誰も入れないようにした。報道陣すらその外側から観ることになったが、これは試合を邪魔されたくない、猪木の意向でもあった。それでも、リングから離れるだけで、ファンは試合を見られないことはない。筆者も巌流島に行ってわかったのだが、島には人が隠れられるような草むらが無尽にあるのである。しかし、当日は下関市から新日本プロレスが巌流島を借り受ける形となっていたため、新日本側がファンを追い出せるのも、当然の権利と言えた。いたちごっこの末、じょじょにファンは帰り始めた。

「僕も帰りました。規制線でリングが遠くなってしまったのもあったんですが」

 と前置きし、先の男性は語る。

「リングは海岸沿いに設置されていて、視界的にその方向は開けていた。すると、先に帰っていた友人から、対岸から双眼鏡を使えば、試合が観られるという情報が入ったんです。トランシーバーで? ええ、そうです」

 山口県は彦島という陸繋島の、ひまわり台という高台だった。いざ行ってみると、既に50人以上の猪木ファンが双眼鏡を片手にしていたという。

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