拉致議連「初代会長」石破首相に突きつけられる“喫緊の課題” 置き去りにされた“北朝鮮による犯罪”を改めて振り返る

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もう時間はかけられない

 警察庁警備局の資料によると、北朝鮮によるわが国へのスパイ活動は、第2次大戦後から頻発しており、1950年の朝鮮動乱前後から活発化した。在日朝鮮人が多く、地理的・文化的関係などから潜入、脱出も容易。各国の大・公使館があり、世界の諸情報が集まるだけでなく、日米安保条約によって米軍が駐留している――スパイ活動のための諸条件が揃っていたのがその理由だった。

「北朝鮮スパイ事案というと、密入国して日本人になりすまし、各種スパイ活動をする人物を取り締まるのがメインでした。外務省の事務官を手先に使い、外交機密を入手していた大物スパイもいましたし、日本の電化製品を大量に買い込み、新潟と北朝鮮を結ぶ万景峰号に大量に積み込んで北朝鮮に送るスパイもいました。ただ、日本人を拉致して北朝鮮に連れ去るというのは想定外でした」(外事警察OB)

 北朝鮮工作員による拉致事件は長くタブーとなり、日本政府が正式に「北朝鮮による拉致の疑いがある」と表明したのは、事件からおよそ10年後となる1988年3月26日の参議院予算委員会での梶山静六国家公安委員長の答弁まで待たねばならなかった――。

 上述の通り、宇出津事件の2カ月後に横田めぐみさんが拉致され、事件翌年の6月から8月にかけて田口八重子さん(当時22)や、市川修一さん(同22)ら、多くの日本人が拉致されることになる。

 10月5日に60歳の誕生日を迎えためぐみさんの母、早紀江さん(88)は9月27日、報道陣の取材に「これまでに10人以上の首相に会い、同じことを言い続けているが、願いはかなわない。(石破首相には)命がかかった問題であることを認識し、リーダーとして強い気持ちで行動して欲しい」と語っている。

 絶対に忘れてはいけない日本人拉致事件は、被害者の高齢化も進み、まさに待ったなしの状況にある。石破首相はどんな手腕を発揮してくれるのか。

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