「大谷くんの活躍は誇り」日本人初のメジャーリーガー(80)が語る60年前の挑戦と二刀流の未来

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 元メジャーリーガーの村上雅則氏(80)が、前千葉県知事で俳優の森田健作(74)がパーソナリティを務めるニッポン放送とFM NACK5の番組に出演し、スタジオ収録を行った。60年前に米国へ赴いた自身の“野球留学”、そして前人未到の記録を達成した大谷翔平について聞いた。

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 日本人初のメジャーリーガーと聞けば、多くの人が野茂英雄を思い浮かべるだろう。だが、実は村上氏がその元祖で、“アジア人初”の存在でもある。いまから60年前にサンフランシスコ・ジャイアンツ(SFジャイアンツ)に所属していた村上氏は、日本人メジャーリーガー第1号のリリーフ投手として活躍。“マッシー・ムラカミ”の愛称とともに、145キロの直球とキレのあるカーブやスクリューボールなどの変化球で知られた。
 
 その後、南海ホークス(現ソフトバンク)、阪神タイガース、日本ハムファイターズで投げ、引退後は解説者、評論家、さらには日ハム、ダイエー、西武の投手コーチ、SFジャイアンツ極東担当スカウトなどを歴任した。1999~2000年には日本初の硬式野球全日本女子チーム「チームエネルゲン」の初代監督を務めた。

 昨年には、長年の日米交流への貢献が認められ、米ワシントンD.C.日米協会の「マーシャル・グリーン賞」を、また今年1月には日本スポーツ学会が選出する「第14回日本スポーツ学会大賞」をそれぞれ受賞。現在は日ハムOB会の幹事長兼監査役も務めている。

プロ入りは考えていなかったが…「アメリカ」への憧れで

 村上氏は、渡米の前後で南海ホークスに所属した。最初に入団したのは1962年だ。
 
「実家(山梨県大月市)で夏休みを過ごしていたところに、鶴岡一人監督がスカウトにやってきたんです。ただ最初は、プロに進むことは考えていなくて、お誘いをお断りしたのです」
 
 と語る村上氏。
 
「ところが『南海に入ったらアメリカに行かせてやるぞ』って言ってきて……。正直、その言葉にグラッときたのです。そこで『でしたら、入団させて頂きます』となったのです」
 
 当時は、大リーグそのものに対する知識こそなかったが、米国への憧れは強かったという。
 
「アメリカの西部劇『ローハイド』(主演=エリック・フレミング、クリント・イーストウッド)が日本でも放送されていてね、それが大好きで、アメリカに行ってみたいと思っていたのです」
 
 高卒の初任給が1万5,000円~1万7,000円ほどの時代だった。
 
「その頃のアメリカの航空運賃は、約30万円でしたからね。それこそ飲まず食わずで2年以上働かなければ行けなかった。そんな高嶺の花のアメリカに行かせてくれるっていうのですから、断る理由なんてないですよね」

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