「女性客からも『推し』『尊い』と言われ…」 ストリップ「素人チーム」リーダーの矜持

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「ハニトラ」せいかさん

 今年8月、閉館した埼玉県久喜市の老舗ストリップ劇場「ライブ・シアター栗橋」。その専属の素人チーム「ハニートラップ(ハニトラ)」を率いたのが、リーダー・せいかさんだ。今月には、東京・上野の「シアター上野」で、“復活”公演を果たした。1980年代には伝説のノーパン喫茶「あべのスキャンダル」でウエイトレスもしていたせいかさん。山本晋也監督が「ほとんどビョーキ」と形容した、欲望丸出しのネオンギラギラ狂乱の時代から、ハニトラに至るまでの数奇な人生劇場をたどっていく。(前後編の後編)

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 せいかさんは東大阪市出身。「勉強が大嫌いだったから中卒で、すぐにスナックやらで働き始めたんです。以来、水商売、一本やり」。 ルノアール京成上野駅前店でアイスコーヒーを飲みながら、そう話し始めた。校内暴力や「積み木崩し」が社会問題であった当時、せいかさんも色々悩むところもあり、ツッパリのスケバンとして、地元で有名な存在だったらしい。

 五輪真弓の「恋人よ」に、もんた&ブラザース「ダンシング・オールナイト」、八代亜紀「雨の慕情」と流行歌が街に流れた昭和55年(1980年)、ノーパン喫茶「あべのスキャンダル」が大阪の阿倍野にオープン。すぐに男たちの長い行列をつくった。そこで、せいかさんは働いた。

 ノーパン喫茶の発祥は京都の西加茂にあった「ジャーニー」らしいが、それはともかく、せいかさんは10代でノーパンスタイルのウエイトレスとなり、男たちにコーヒーを運び始めた。

 最初は「パンツ見られるのも恥ずかしいのに」と怯んだものの、徐々に慣れていった。当時の女性たちは明るくアッケラカンとしていて、少し上の世代にはノーパン喫茶出身でアイドル的人気となった「イヴちゃん」がいた。せいかさんは当時、山口百恵が好きで密かに歌手になる夢を胸に抱いていた。

 街には、Tバックにエプロンで接客するたこ焼きなどもでてきた。せいかさんはノーパンに小さなエプロンだけを身に着けて、牛丼を運ぶノーパン牛丼「ちち乃屋」にも出るようになった。そこではウエイトレスが吹き矢で風船を割るといったショーも見せていたという。

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