横尾忠則をヒヤヒヤさせた“突然の来訪者” 連載中止かと思いきや告げられた拍子抜けの一言とは

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 編集部のTさんが休日だというのに突然来たいとおはぎと飲み物を持って来訪。さては連載エッセイの中止か、Tさんの部署の異動かどっちかだろうと思って待機していました。

 なぜそう思ったかというと、この間からいいこと続きだから、こんな時には、いいことの反作用が起こる場合がある。だから起こってしまってからあわてるのではなく、前もって過去完了形で、そうなってしまったと仮定して考えることにしています。

 そうか、このエッセイ(「曖昧礼讃ときどきドンマイ」)の連載も1年ほど経った。また編集長も代った。編集長が代ると従来の連載記事も中止になったり、とにかく編集方針がガラリと変る可能性がある。だから僕の連載だって降ろされたって不思議ではない。連載を始めた当時、読者から、「この連載は『週刊新潮』の宝です」というお誉めの言葉までいただいたのに残念だなあと思ってしまった。

 でも僕は自分の状況の変化をいつもそのまま受け入れる運命論者だから、マッ、ええか、これを機会に生活も変る。エッセイを書く時間を全て絵の制作に当てれば、その分、絵が増える。当然、絵の内容にも影響を与える、えゝこっちゃ、と僕はいとも簡単にポジティブに反応してしまうのです。

 仮に連載は中止されなかったとしてTさんが他の部署に異動されるなら、折角縁ができたTさんだ、彼の新天地でまた一緒に何かやればいい。彼が「新潮」へ移るなら、そこで小説を書けばいい、単行本へ移れば早速この連載をまとめてもらおう、「芸術新潮」に移るなら、尚のこと身近かになる。とそんな風に想像力は次々とふくらむ。

 僕はなんでもいい、環境が変化することには全く問題ない。むしろ相手の変化によって、こっちも変る。無理に変ろうとしなくても相手の変化に順応すれば何の努力も計画もなく勝手に自己変革が起こる。こんな風に想像を固めてTさんがやってくるのを待ちかまえていたのです。

 休日の午前中に千葉からわざわざ、連載中止のお断り挨拶か、それとも連載の担当が継続できなくなったので、申し訳けないと、ビニールの大きい袋の中に函詰めの和菓子と、飲み物などを持参してやってきたが、ヤケに快活な雰囲気である。あえて内面の苦悩を表情でカムフラージュしているのかも知れません。

 Tさんに先きに口火を切られるとイヤだから僕の方から、「急遽来訪された理由は実は、こういうことでしょう」とこの文章の冒頭で触れたようなことを、Tさんにウムと言わせないために、僕はベラベラと早口に、連載中止か部署の異動のそのどちらかでしょうとたたみ掛けるようにしゃべったのです。

 さあ、どっちや、と僕は彼の口から飛び出す言葉を全身耳にして待ちかまえていたのです。

 すると、どうだろう、ゲラゲラ笑って、「どちらもハズレ。ただの御機嫌伺いですよ」とおっしゃるじゃないですか。僕は一瞬で全身の力が抜けて、気持がヘナヘナとなえてしまいました。折角僕の構想は決まっていたにもかかわらず、何の問題もなく現状維持でこのまま踏襲されることになってしまったのです。

「ナーンだ。連載の中止じゃないの、他のセクションにも行かないの」。見事に裏切られてしまったのです。愕然としながら、僕はわれながら、変な性格だなあと、感心したり、がっかりもしたのです。見事に想像は裏切られたものの、何の変化もなく、昨日と変らない日常がこのまま坦々と続くらしいのです。

 激しい変化もなく、日々安泰こそ平和な社会なんでしょうが、Tさんの電話一本でしばしの時間、僕は非現実的な妄想の世界で、次なる世界への変化という実にスリリングなシミュレーション体験を味わわせていただき、差し入れのおはぎと紅茶ラテでホッと妙な安堵感に浸ることができました。

 実はいつものことですが、この「ドンマイ」のエッセイのテーマが中々見つからなくて困っているのです。テーマはなんでもいいのですが、一番いいのは今日みたいなテーマが見つかることです。昨日、Tさんが明日午前中に伺いますと電話してきた――これだけでいいのです。一体何の用があって明日来られるのか、という用件を聞かなかったために、僕は勝手にTさんの明日の用件をあれこれと想像してしまって、昨夜(ゆうべ)だってこのことで、ゆっくり寝ていなかったのです。

 テーマなんていうのはわざわざ捜したり、求めたり、捏造したりするものではなく、なんでもない、テーマではないことこそがテーマになるのだと今回感じました。テーマは考えるものではなく出合うものではないかと思ったのです。と考えるとわれわれの日常はテーマの大海なのかも知れません。というか人間そのものがテーマなんでしょうね。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年10月3日号掲載

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