大谷翔平「54-59」達成で賞賛すべき「ムーキー・ベッツ」の献身 1番バッターが盗塁王争いに絡むと「2番は本当に神経を使います」との指摘も
打率3割1分0厘、ホームラン54本、59盗塁──言うまでもなく、ドジャースの大谷翔平が達成した驚異的な打撃成績だ。しかし、これほどの大記録を大谷が達成できた要因の一つとして、ムーキー・ベッツの“献身”を指摘する日本メディアの報道は、あまり見当たらない。そもそもベッツにとって、今季は大変なシーズンだったのだ。
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担当記者は「これは日本でも大きく報道されましたが、ベッツ選手は今季、開幕直前になって突然、ショートへのコンバートを命じられたのです」と振り返る。
「アマチュア時代のベッツ選手は主にセカンドを守っていました。2011年にレッドソックスからドラフト指名を受けた時も、ポジションは内野手でした。ところがメジャーデビューを果たした14年のシーズンでは途中から外野手にコンバート。そして、これが正解だったのです。常に打率は3割から2割9分をキープするリードオフマンとして活躍しただけでなく、ライトとして6回のゴールドグラブ賞を受賞するなど素晴らしい外野手に成長しました」
今季、ドジャースはベッツをセカンドに固定する方針を明らかにしていた。ところがオープン戦が始まっても、なかなか二遊間の守備が機能しない。そこで首脳陣は、打てるベッツをスタメンで起用するため、開幕直前になってショートへのコンバートを指示する。
これは無茶な要求だった。ベッツはメジャーリーガーとしての通算10年で、ライトで978試合、センターで223試合、セカンドで100試合に出場してきたが、ショートしては昨季に16試合の出場を記録しただけだった(註)。
おまけに指示されたのは開幕直前。相当なプレッシャーだったのは想像に難くない。3月20日に韓国で開催されたドジャースの開幕戦では試合開始前、ベッツはショートの守備練習に汗を流していた。日本のテレビ中継でも放送されたため、ご記憶の方もいるだろう。
流れを変えた死球負傷
それでも打者としてのベッツは素晴らしいスタートダッシュを切った。3月の成績は18打数11安打で、打率は6割1分1厘。ホームランも5試合に出場して4本を放った。
翌4月も好調を維持し、打率3割3分7厘、ホームラン2本、出塁率4割3分、得点圏打率は4割7分4厘。3月の成績も合わせ、ナ・リーグ打者の月間MVPに選ばれた。
ところが6月に調子を崩す。15試合に出場し、ホームランは2本を放ったものの、月間打率は1割9分3厘に転落。出塁率は3割2分4厘を維持したのはさすがだが、得点圏打率は2割1分4厘と、ベッツ本来の実力からほど遠い内容だった。
そして6月16日のロイヤルズ戦で死球を受けて左手を骨折。7月16日のオールスター戦も出場辞退を表明し、多くの野球ファンが早い回復を祈った。
「ベッツ選手が負傷者リストに入り、代わりに大谷選手が1番となりました。これが大きな影響を与えます。大谷選手は春のキャンプでコーチから盗塁の指導を受け、走力を徹底的に鍛えてきました。しかし、その成果を披露する場面は限られていました。大谷選手が本格的に盗塁に挑戦したのは、ベッツ選手が戦列を離れてからです。何しろ3月から6月までの盗塁数は合計16だったところ、7月の盗塁数は12、8月には15に達したのです」(同・担当記者)
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