自民党内で嫌われ者だからこそ支持される「石破茂首相」の“ジレンマ”…総理就任で生じた深い“悩み”の正体

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 やはり嫌われていたのか──と再認識した方も多かったのではないだろうか。9月27日にとう開票された自民党総裁選では、決選投票に臨む石破茂氏と高市早苗氏が5分間のスピーチを行った。そこで石破氏は「多くの方々の気持ちを傷つけたり、いろんな嫌な思いをされたりされた方が多かったかと思います。自らの至らぬ点を心からお詫びを申し上げます」と謝罪した。

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 担当記者は「石破茂さんが自民党内で嫌われているという報道は、今でも相当な数を目にします。その源流を辿っていくと、2012年9月に行われた自民党の総裁選が大きな影響を与えたようです」と言う。

 12年当時、自民党は野党だった。しかし、この頃は与党・民主党の退潮が鮮明になっていた。前年の11年9月に野田佳彦内閣が発足したが、12年に入って内閣支持率は20%台と低迷。自民党が政権を奪取する可能性が取り沙汰され、国民の注視もあって総裁選は盛りあがりを見せていた。

 総裁選には5氏が立候補。第1回の投票は議員票と党員票を足して、トップが石破氏で199票。2位が安倍晋三氏で141票、3位が石原伸晃氏で96票、4位が町村信孝氏で34票、5位が林芳正氏で27票という結果になった。

 こうして石破氏と安倍氏で決選投票を行うことが決まった。第1回の投票結果を見れば、石破氏が圧倒的に強い印象を受ける。だが、議員票では安倍氏に敗れていた。石破氏の議員票は34票で、党員票が165票。安倍氏は議員票が54票で、党員票が87票だった。

 さらに当時の総裁選は、決選投票は国会議員だけが票を投じる制度だった。結果、決選投票で安倍氏は108票を獲得し、石破氏の89票を逆転して総裁に就任した。

問題視された“離党歴”

「党員票は一般的な有権者の意向を代弁する傾向があります。当時、有権者の支持を集めていたのは石破さんだと見られていました。ところが決選投票で安倍さんがひっくり返した。『国民は石破さんを支持していたのに、どうして自民党は安倍さんを選んだのか』という疑問に答える形で、全国紙やテレビなどの大手メディアは『石破さんは党内で嫌われている』という記事を相次いで報じたのです」(同・記者)

 石破氏は1986年の衆議院議員選挙に鳥取県全県区から出馬し、定数4の4位という最下位で当選を果たす。当時29歳で、全国最年少の国会議員だった。

 1993年8月に非自民・非共産の連立政権だった細川護煕内閣が誕生すると、しばらくして石破氏は自民党を離党。小沢一郎氏が率いる新生党に参加した。

 94年に新進党が結成された時も行動を共にしたが、95年ごろから党の安全保障政策に失望を感じるようになったという。そのため96年10月の衆院選では新進党を離党し、無所属で出馬して当選。翌97年に自民党へ復党した。

 こうした石破氏の“経歴”を問題視する自民党議員は少なくなかった。例えば森喜朗元首相は、12年の総裁選に石破氏が立候補すると「何度も党を変えるというのは、辛抱がないということだ」と公然と批判。他にも党幹部が「復党後に拾ってあげたのに感謝の気持ちがない」と漏らしたと伝えた新聞社もあった。

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