「親としては安心」 引退の貴景勝、実父も案じていた「体の爆弾」

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 28歳の若さながら満身創痍でのリタイアを余儀なくされてしまったのは、9月20日に引退した元大関の貴景勝である。「芦屋のボンボン」「美人母」「昭和スパルタの父」と話題には事欠かず、ひところは日本人横綱の最有力候補にも擬せられた本人に代わって、父親が胸中を明かす。

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 初土俵から10年で幕内優勝4回、大関として30場所を務めた貴景勝は、7月の名古屋場所で5勝10敗に終わり、大関から陥落した。

 先の秋場所では初日から2連敗し、休場。11日目の夜に師匠・常盤山親方に引退の意向を告げたという。28歳1カ月での引退は、平成以降の横綱・大関では最も若く、21日に行われた記者会見では「燃え尽きた」「『勝っておごらず負けて腐らず』でやってきた」「根性と気合を持った力士を育てていきたい」などと語っていた――。

 出席した相撲レポーターの横野レイコ氏が言う。

「一本筋が通った、貴景勝関らしい会見でした。令和の時代に昭和の香りがする数少ない関取で、まだ“ちゃんこの味”が染みていない若い力士などは、よく貴景勝関に一喝されていました」

「親としては安心」

 175センチと上背がないため突き押し相撲が身上。が、それゆえ首への負担は計り知れず、慢性的な痛みに悩まされてきたという。

「首のけがは引退後の人生にも影響するため、どうしても頭から突っ込みにくくなる。現役中は、さらに悪化してしまうのではという恐怖心との闘いでもあり、引退してほっとしているのではないかと思います」(横野氏)

 9歳で相撲を始めた時に「横綱になる」と約束した父の佐藤一哉さん(63)に尋ねると、

「引退が発表される前日に電話で息子から伝えられ、『分かった』とだけ言いました。理由はけがだと分かっていたので聞きませんでした。妻などはテレビで取組も観られないほど心配していたくらいで、取り返しのつかない大けがをする前に辞めることができ、親としては安心しています」

 そう明かすのだ。

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